「求める理想は実現する」 その99
運営変更と現場長のスタンス

Press release
  2008.06.14/観光経済新聞

 旅館のオーナーからしばしば聞かされる話に、「人材が乏しくて」というのがある。さまざまな意味あいを含んでいるが、とりわけ強く感じられるのがマネージャー(管理者、支配人)クラスに適材が乏しいということだ。この「人材」について数回にわたって書いてみたい。
 ある旅館で弊社の配膳システムの導入に伴う運営変更を行うことになった。厨房、配膳、客室などの各セクションで、従来とは異なる運営形態になるわけだ。
 こうした運営変更では、必ず発生する事態がある。変更に対する「反発」がそれだ。身についた作業の流れを、新しいものへ変えることへの反発といえる。だが、考えてほしい。従来の方法では、この先が立ちいかなくなるのが明らかであり、それに対して手をこまねいている愚は、ないはずだ。作業者としての「自分の立場」ではなく、現在の職場が今後も継続され、収入をはじめとする諸条件が改善されるためには、いま「何をすべきか」に目を向ける必要がある。言い換えれば、従来の方法では経営が危うくなり、収入や待遇が悪化していくだけで、その先にあるものは……。つまり、長い間に慣れ親しんできた方法の中に、悪化の根源があることを理解すべきなのだ。とりわけ各セクションのマネージャーは、この点を真っ先に理解する必要がある。マネージャーの理解が乏しければ、一般社員・パートに運営変更を徹底させるのは難しい。
 さて、この旅館では、オーナーが導入の方向を検討し始めた時点で、厨房セクションが反発の急先鋒に立った。厨房のマネージャー(板長)は、従来の方法を変えることで、料理の品質に影響が出ると受けとめた。自分一人ではなく、全員が一丸となって作業をする厨房全体の運営維持を考えれば、現状の運営形態を変えたくない。

 余談だが、伝統的な日本料理の世界は、ぼんさん・追い回しから板長に至るタテ社会が形成されてきた。そこには、合理性だけでは処理できない要素も含まれており、それが作業をスムースに進行させるうえで、いわば隠し味のような作用があることも好意的には捉えられる。だが、それが高じると作業の工程にあるムリ・ムラ・ムダさえも、料理づくりには必要とするような考え方に陥る危険性もある。しかし、それと経営は別ものなのだ。端的にいえば、料理があって旅館が経営できるのではなく、旅館があってこそ料理が提供できるわけだ。料理で評判をとっている旅館には、往々にしてこうした経営上の「鶏と卵」に似た本末転倒の理屈がはびこっている。厨房現場だけを考えるならば、ムリ・ムラ・ムダを省く努力よりも、従来のままの方が「楽だ」という現場の本音も潜んでいる。
 ところが、この旅館でシステム導入が決まると、検討段階では反発の中核だった厨房マネージャーが一転した。検討段階では自分に任された現場長の立場から発言していたのだが、オーナーが導入を決定したあとは、経営の立場から推進する発想に切り替わったのだ。これを変わり身と捉えるのは短絡であり、マネージャーの多面的な役割を認識している優れた人材と評価できる。
 例えば、「1GM5M」といった言葉を耳にしたことがあると思う。「1GM」は1人のゼネラルマネージャー(統括管理者)であり、「5M」は5人のセクションマネージャーで、旅館ならば営業、接待、厨房、館内運営、管理部門ということになろう。この6人が「経営のカナメ」となる。現場の長は、単にそのセクションの業務のみに終始するのではなく、経営の視点から現場を捉えることが欠かせない(この点については次回以降に詳細を述べたい)。
 つまり、この旅館の厨房マネージャーは、検討段階では現場の品質維持を主眼に据えていたが、経営レベルに視点を移した時には、改善の必要を理解できる発想も兼ね備えていた。したがって、オーナーの方向が決まれば、その方向に沿った運営変更が自然な形で発想できる。システムは、発想を具体化するツールとして真価を発揮できるわけだ。

(つづく)

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