構造改革のツールの1つである配膳システムを導入すると、要員のシフト管理をはじめ運営にかかわる「ムリ・ムラ・ムダ」が解消されて、コストの削減やCS・ES向上の社内構造ができあがる。言い換えれば、業務運営にかかわるモノの動き、人の動き、情報の流れなどがシステマチックに連動することになる。そこで肝心なことは、個々が自分の役割を的確にこなすのと同時に、よりスムースに運用するには、個々の役割を熟知したコントロールタワーが求められる。それがオーナーであり、総支配人など責任ある立場の人間が、その任にあたることになる。
そのために、構造改革では「指導会議」といった名目で、個人やコントロールタワーの役割を熟知し、運営現場に反映させるためのトレーニング会議を行っている。
ところが、ある旅館では十数回の指導会議を行ったのだが、コントロールタワーになるべき総支配人が出席したのが1、2回にすぎなかった。しかも、出席しても時間はごく短いものだった。そこには「部下の仕事は部下が学べばいい」といった姿勢が窺える。けだし、部下に「任せている」のではなく、自分は「関知しない」ことで責任を回避しているのだ。部下が学んだことで実績が伸びれば、それは自分の功績としてオーナーに上伸し、伸びなければシステムを非難し、部下を叱責するだけで自分は責任をとらない。これでは、部下の信頼は得られない。
そうした態度を呆れ気味に会議で指摘すると、部下は一様に「そうだ」と頷く。中には公然と「あと数年もすれば変わるのだから」といい、程よくあしらって逆らわない〈風に柳〉を決め込む部下までいた。もはや、組織への求心力は感じられなかった。その裏返しの現象は、部下に覇気がなくなることだ。これは、業務を遂行する上でマイナスにしかならないし、長引けば仕事や会社に嫌気が差してくる。懸念したとおり幹部社員の1人が辞めた。後日、辞めた幹部は「上司に耐えられなくなった」と本音を吐露している。このような相手と付き合うには、少なからず身構えておかなければならない。結果として意志の疎通に余計な手間と時間がかかる。指導会議の回数も増える。これは、私の経験したことだけではない。出入りの業者も感じていた。
さて、本題のGOPに話を移そう。GOPは、経営状況を把握する指針として極めて重要なものだ。しかし、数字は「その時点での結果」であり、その時点がゴールであれば問題ないが、企業経営には節目こそあってもゴールはない。例えは悪いが、俗に言うハゲ鷹ファンドのように、儲けの数字が確保できたら売却するような性質の数字ではないはずだ。あるいは、巷には「結果オーライ」といった言葉もあるが、何をもって結果とするかには異論がある。少なくとも、マイナス要因が潜んでいれば、オーライなどと安気なことは言えないはずだ。
前述した事例では、総支配人の資質が引き起こした求心力の欠如や覇気の喪失、あるいはオーナーへ上申するための数字にこだわるあまり、残業代も支給しないサービス残業の恒常化など、数字の表だけでは読み切れないES低下が潜んでいる。そして、模式図のB館のように、A館に水をあけられてしまう。
つまり、継続する上で新たな問題を引き起こす萌芽が、数字の背後に潜んでいいないかどうかを見極めることが欠かせない。それがオーナーと総支配人をつなぐメカニズムでもある。オーナーが総支配人に「任せる」ときの、任せ方が重要だといえる。他山の石では、決してないように思うのだが、読者はいかに受けとめられただろうか。
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