全国区的な知名度に照らすとメジャーとはいえないが、地方区である近隣の都市マーケットでは相応に知られた温泉地がある。こうした温泉地は全国に数多く存在する。というよりは、近隣の地方区に支えられている温泉地が圧倒的に多い。本コラムでも同様の立地条件にある事例を数多く紹介してきた。肝心なことは、そうした立地にある旅館が、近隣の都市マーケットにどれだけ目を向けているかということ。いわゆる「奥座敷」と呼ばれてきた温泉地は近隣マーケットを重視する姿勢が伝統として培われているが、その認識に乏しい地域は、ややもすると全国マーケットに目を向けすぎていた感が否めない。
しかし、利用客をセグメント別に解析すると、実はGOPに貢献しているのが近隣客である場合が多い。同じ1泊2日の宿泊利用であっても、利用客の視点でみると、近隣客は交通費が安価な分だけレジャー感覚で気軽に訪れることができる。それがリピートにつながり、口コミの相乗効果にも発展する。これに対して全国区では、旅行感覚が大きく広がるために、そうした気軽さに起因する効果を期待しにくい。
GOPの観点で捉えるならば、近隣客を決して粗略に扱っているわけではないが、気軽なレジャー感覚に対して相応に対応している。厳密に検証したわけではないが、旅館と利用客の間に地域固有の「阿吽の呼吸」のようなものが働き、自然な形で居心地のよさが客側に伝わっているようだ。ところが全国区になると、さまざま接遇要素を全国レベルで揃えなければならない。
古い喩えで恐縮だが「樽の理論」というのがある。何本も樽材を組み合わせてタガで締めた樽に入る水は、一番短い樽材の位置(左図)までしか入らない。それよりも長い樽材は、仮にどんなに高価なものを使ったとしても、何の役にもたっていない。そうした高価な樽材は余分な費(つい)えであって、無用の長物でしかないわけだ。いわば、本来得られるはずのGOPを食い潰すゴクツブシでしかない。
さて、前置きが長くなってしまったが、地方区ともいえる温泉地にある1軒の旅館を訪ねたときの話をしよう。この温泉地には、5軒の大型旅館がある。現状では、その中の最大手が一人勝ちともいえる状況で、残る4軒のうち経営の悪化していた2軒は、すでにファンドの軍門に下っている。私が訪ねたのは、ファンドの手に落ちていない2軒の中の1軒だった。
その旅館の施設は、ひいき目に見ても経年が目立つ。いい換えれば、随所で陳腐化が否めない。食事の提供方法は、夕食がすべて部屋食なのも、気の利いた今日風の食事処がないためにほかならない。また、朝食は宴会場でのバイキングの形をとっている。総じて商品力に難点がある。そこで、食事処を中心にリニューアルを企図した。
その旅館の経営ぶりは、傍目には安定しているようにみえるかもしれない。有利子債務は年商の1年程度で、多額の借金があるわけではないからだ。しかし、食事処の設置計画は、思いどおりには進まなかった。普通ならば、健全経営の旅館として評価されるはずなのだが、銀行の融資が受けられなかったのだ。
私は「GOPはどれくらい」と問いた。オーナーは「10%をだいぶ下回って……」と言葉を濁したおまけに「銀行が融資をしてくれない」というだけで、次の手を打っていないのだ。
これには、正直なところ驚いた。順序としては、GOPを10〜15%に上げて、その実績の下で融資を受けて施設をリニューアルする。だが、その発想が欠落している。いわば「GOPの出ないのが当たり前」と受けとめる体質が、この旅館だけでなく多くの旅館にみられる。これでは旅館の将来が思いやられる。
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