前回は、地域として呉越同舟で頓挫するよりも、同床異夢で当面の難関を乗り越える必要性を示唆した。もとより、こうした発想は、言うは易く行うのは難しい。そこで、再び自館のシーズ(提供可能な素材)に戻ってみよう。極めてシンプルに考えれば、個々の旅館が不特定多数の消費者に訴求する場合(下図左側)と、温泉地一体で訴求する場合(同右側)が想定できる。
まず、現状では多くの場合に、個々の旅館がさまざまなニーズをもつ消費者に自館を訴求している。その時に、自館のシーズと消費者のニーズ(ないしウォンツ)の整合が不可欠なことは言うまでもない。しかし、現実をみる限り闇雲ともいえそうな訴求方法がまかり通っている。一言でいえば、自館のシーズを踏まえたセグメントが欠如しているわけだ。
例えば、最終的な売価を1万円と想定してみよう。当然ながら対象となる客層は「1万円を希望する利用客」ということになるが、果たしてそれが正解か否かだ。中学校で学んだ「集合」という考え方を思い起してほしい。そこには、「必要条件」と「十分条件」というのがあった。仮に買い物の場所がスーパーマーケットしかない状況を想定し、そこで「売っているもの」と「夕ご飯で使う肉」の関係をみてみよう。この場合、肉はスーパーでしか買うことはできなないのだから、肉からみたスーパーは「必要条件」だが、スーパーからみた肉は、他の食材も売っているので「十分条件」となる。
極論をいえば、「私の施設は旅館だ」といっても、「旅館とは私の施設だ」という言い方は、比喩的に使うことはあっても、そこまで傲慢に言い切る経営者には、まだ会ったことがない。
この集合の理論を「1万円の売価」に当てはめながら考えてみよう。売価1万円の内容を不動産業と料飲業に区分したとき、施設の充実を訴求ポイントにするのか、それとも料理や接遇を重視するのかで、同じ「1万円を希望する利用客」であっても個人の嗜好、性別や年齢による階層、可処分所得による階層ほかざまざまなセグメントが可能となる。言い換えれば、「泊まって、食事をして、さまざまなサービスを受ける」には、旅館を利用することが「必要条件」になるが、そこでの「十分条件」は各人各様ということになる。つまり、価格帯がほぼ同じだとしても、それが各館のセグメントまで「イコール」とはならないわけだ。
さて、前回の項で「温泉地力+旅館力が決め手」と記したが、これは古諺の「3本の矢」などを引き合いに出さなくとも誰もが理解できよう。また、個々の施設の充実とともに、温泉地としての「らしさ=賑いや華やぎ=ハレの空間」が求められていることも理解の範疇にあるはずだ。より多くの入湯客を集めるのが「温泉地力」といえる。そうした場合に、地域としてのアライアンスが必要なのは言うまでもないが、問題は各館の実態を客観的に捉え、適正な判断(評価)なくしては絵に描いた餅であり、呉越同舟でアイデアは頓挫してしまう。そこで、経営状況を統一のフォームで実態を浮き彫りにし、評価を可能とするツールとして、日本版ユニフォームシステム(GOP名人)と価格設定の「標準ガイドライン」を提案するに至ったわけだ。
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