不動産業としてのマネジメントを的確に遂行しようとするF氏は、旅館の運営に潜むムリ・ムラ・ムダを省くために配膳システムの導入を決めた。これは、運営システムとしてのソフト面を評価したものと私は受けとめている。
あるとき私は、F氏の旅館と立地条件の似た旅館で配膳システムの導入話をしていた。その時、たまたま喩え話としてF氏の旅館での事例をあげた。すると事例の中身ではなくF氏について「どんな人」と興味を示し聞いてきた。そのとき私は、適切な比喩が思い浮かばず、咄嗟に「とっちゃん坊や」みたいな感じだと喩えた。若い人らしいアグレッシブな一面がある一方、根回しや駆け引きといった老獪な手管を、平然と用いることもできる
F氏は不思議な二面性を持った人なのだ。
F氏のこの駆け引きは、実際に何度となく遭遇している。それは、システム導入にかかわる私との契約場面だけではない。幹部に対しても、しばしば見受けられた。その1つが、配膳システムの運用に関わる指導会議の席でのことだった。
システムを導入した旅館に共通すのは、現場の運営方法が従来と違ってくること。そうした場合言葉は悪いが「どうしようもない現場」ならば、改善点を指摘するとスタッフは渋々ながらもう頷く。 ただし、すぐに反応して是正するとは限らない。経営者を交えた指導会議でそれらの指摘を繰り返すと、経営者も「なぜ、しないのだ」と居並ぶ幹部社員を叱責する。中には声を荒げる経営者もいる。そして、システムが少しずつ回り始める。
ところがF氏は、指導会議の席上でほとんど発言しない。時には、テーブルの上に置いたパソコンで、自分の仕事に没頭している素振りを見せることもある。それが老獪な駆け引きだった。F氏は、会議の内容に無関心なわけではない。いわば、私に下駄を預けているのだ。多少乱暴にいえば、自分の存念はいわずに黙っている。そんなF氏のあり様を、最初は訝しく思った私だったが
やがて本心がみえてきた。ある時F氏はいった。
「実は、あの人(幹部の一人)はスタッフの人望もあるのですが、どうも我が強くて自分のやり方を変えようとしないのです。組織のガンですね」と本音を吐露した。そのとき、私は合点した。指導会議でみせるF氏の一見して無関心な素振りは、実は居並ぶ幹部の本音を引き出すポーズだったのだ。会議の席で幹部の一人がいった。
「先生のいうことは、すでに私たちはやってきました」
それは自信のあるいい方だった。F氏を意識しているのも分かる。だが、それに対してF氏は何もいわない。むしろ、自信をもった彼の言葉に対して、私がどう対処するのかを待っている。その場の雰囲気を察した私は、あえて辛辣に彼の言葉を否定する側に回った。そう、F氏が私に求めていたのは、近代経営ツールとして理にかなったシステムを導入することで、従前の方法を改めさせることだった。そして、その先にあるのは、文化論としての旅館ではなく、不動産業として確固たる経営基盤を築いた上での本当の旅館文化論を実践すること。経営の楽しさを、現状の身の丈に合った形で整合させながら、旅館業としてのGOPを理想の高さまでもっていき、プロフィットを確保しつつお客を満足させ、旅館としてのグレード評価も高めるというマルチ発想だった。
以来、F氏と私は「暗黙の了解」のもとで指導会議に臨むことが増えた。私に反駁し、運用変更で最大の反対勢力だった例の幹部は、やがて最大の理解者になっていった。私の辛辣な指摘で、この幹部をできれば排斥したいと思っていたF氏の思惑は外れた。それとも、彼の変貌を見抜いていたのか。私は、そのいずれとも判断するつもりはない。結果は望ましい方向へ進んでいるからだ。
配膳システムには経営を適正化させるだけでなく、指導会議を通してF氏のような第3の使い方もあった。旅館の近代経営ツールは、それ自体の企業刷新能力だけでなく、経営者の資質によって各様の生かし方が可能なのだ。
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