「求める理想は実現する」 その66
配膳システムは不動産業の帰結

Press release
  2007.09.08/観光経済新聞

 いま、多くの旅館が経営に行き詰まっている。理由の1つは「宿泊業=不動産業」の構図が、ややもすれば伝統的な旅館文化の前で霞んでいることが指摘できる。旅館も一般の企業も、大前提は利益を上げて企業を継続させることにほかならない。その意味でF氏は、この大前提に徹している。
 F氏の宿泊施設群には、旅館もあればホテルもある。あるとき、こんなことをいった。
「ホテルは確実に利益を出せるが決して大きなものではない。旅館は儲からないが経営する上での楽しさがある」
 そこには、宿泊施設の経営論と旅館文化論の葛藤めいたものを感じる。これは、日本旅館の伝統と文化を継承するには「儲からなくても仕方がない」という、多くにありがちな諦観とは違う。そのベースには、不動産業としての明確な認識がある。いい換えれば、旅館には不動産業だけでは割り切れない「何か」があるのを感じた上での言葉だった。その何かを解決するために選んだのが、後に配膳システム導入の道だった。
若干横道にそれるが、旅館文化があるがゆえに利益が出しづらいという話に対して、1つのアンチテーゼを出しておきたい。
 これはF氏の旅館ではない。共通している部分があるとすれば、どちらも地域1番店を目指しているのではなく、結果としてそれぞれの地域で「それと知られた旅館」になったケースの話だ。その旅館では、設備で他館より見劣りする部分があれば、当座はそれを感じさせない気配りで補う。そこから「満足していただこう」とする旅館のもてなしの心がお客に伝わっていく。あたり前のことを積み重ねることで、それがその旅館の旅館文化として醸成された。消費単価に対して、それを上回る設備や過剰サービスによってCSに対処したわけではない。そこには、考え方として2つのラインが存在している。
 第1のラインは、満足をしてもらえば売上は上がる→売上が上がればGOPの目標は達成できる。
 第2のラインは、GOPバランスを欠いた設備投資やサービスはしない→GOPを確保して次ぎの投資やサービス向上を図る。
いわば、第1のラインが経営論であり第2のラインが旅館文化論の実践といえる。1万円でも可能な文化の表出もあれば、3万円以上でなければ具体化できない文化もある。つまり、顕在化した文化はそれぞれ異なる。いわば、ある時点で描いた理想を達成したとき、さらに高次な理想を描いて新たに進みはじめる。
 F氏は「地域1番店」を目指さないが、といって上昇志向がないわけではない。前回書いたように、客観的な目で「いま必要なもの」を見定めて手を打つ。ただし、それが実際の行動に現れるには、見定めてからのタイムラグがある。この点がF氏の慎重さといえなくもない。
この慎重さには、2つの側面がある。1つは行動力を抑える働きだ。傍目には、歯がゆさを感じる部分もあるが、いい面に作用する場合がある。それがもう1つの側面だ。
「それはそれ、これはこれ」
とF氏がいい切った場面だった。その場面とは、1年後に大きなイベントを控えた時のことだ。当然、お客の増加が見込まれるために、周囲はそれに対応した手立ての必要性を強調する。その時F氏は、そうした一過性のものに対しては全く切り離して考える冷静さを発揮してみせた。これは単なる慎重さではない。不動産業のマネジメントを的確に遂行しようとすれば、当然のスタンスといえる。
かつて、バブル期に地方博覧会が全国で頻繁に開催された。その時に多くの旅館は、それを当て込んでリニューアルを繰り返した。結果、その後のバブル崩壊で多大な負の遺産を抱え込んだことはいうまでもない。F氏は、その時の割り切りを経験論から導き出したのではない。それこそが不動産業に徹したマネジメントの行き着く先だった。配膳システムも同様に不動産業の観点から導入を決めたものだった。

(つづく)

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