「宿泊業=不動産業」に徹する旅館の後継者は、多かれ少なかれ若い時代に修行をさせられている。それが国内外の専門教育機関の場場合もあれば、観光業界や異業種での企業就労経験などさまざまだ。肝心なのは修行先よりも、その修行内容を自館の経営に反映させることができ、将来の発展につなげられる経験になるか否かということ。近代経営ツールを生かす経営者像6人目のF氏は、宿泊産業のマネジメント能力を身につけるために、若い頃にみっちりと勉強してきた。というのも同館の先代は、旅館形態だけでなくホテル形態を含めたチェーン形態の宿泊業を築きあげてきた。したがって、その後継者には旅館とホテルに共通するマネジメント能力が求められた。いま、F氏は旅館とホテルの両形態で延べ600室程度の宿泊施設群を率いている。
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「う〜ん、話はわかりますが、うちには当面必要と思えません」
それは、私が配膳システムのプレゼンテーションをする予備調査をしたときの、F氏の答えだった。当時F氏は専務だった。
この最初のプレゼンをした時期は、バブル経済が崩壊して世はまさに価格破壊、デフレスパイラルに陥っている最中だった。プロフィットどころか最低限のGOPさえ達成できずに汲々とする旅館が多い中で、F氏の宿泊施設群は順風満帆といわないまでも、全体でみれば相応のGOPをキープしていた。
その頃の私は、構造改革を前面に据えた抜本的な変革を語ることが多かった。機会あるごとに新しい時代へ向けた旅館の「再創業」を語っていたのだが、時代背景から「再建」と捉える経営者も多かった。というよりは「構造改革=再建」として、経営がにっちもさっちも行かなくなった旅館の、駆け込み寺のような「再建請負人」と思われていた節が少なからずあった。
しかし、F氏が「当面必要としない」としたのには2つの理由があった。1つは、F氏には導入の意思があったものの、当時の社長の経営方針を含めて、いろいろな意味で時期尚早だったこと。もう1つは、構造改革とは異質なのだが、自社で独自の運営システムを作りあげていたこと。いわば、F氏は宿泊産業のマネジメントに対して一家言をもっており、当面はそれによって運営できる自信があったようだ。少なくとも構造改革の「再創業」を「再建」と誤解をして、「再建など必要としていない」といったニュアンスではなかった。
1回目のプレゼンから配膳システムを導入するまでの間には、別の動きがあった。ISOの導入だ。当時、先駆的といわれる旅館ではISOへの関心が高かったが、システムへの理解よりも「時代に沿った宣伝ツール」といった感が勝っていたことも否定できない。だが、F氏は違っていた。話の場面は失念したがF氏はこんな言葉を漏らしたことがある。
「私は地域1番店を目指しているわけではないのです」
F氏にとってISO認証取得も、地域の1番店といった観点からではなく、純粋に宿泊施設に必要だと考えていたようだ。このあたりの発想は、宿泊業の経営マネジメントを学んできたF氏らしい捉え方ともいえる。いわば、「宿泊業=不動産業」の構図をきっちり理解した人間だった。ある意味では、先代がこの構図に基づいて事業を拡大してきたことから、F氏をしてそうした修行をさせてきたのかもしれないと思い当たった。地域1番店を目指さないのも、それが理由だったような気がする。
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