旅館の構造改革を進める近代経営ツールとして、基本ともいえるのが配膳システムだ。私は、D氏の旅館でも最初に配膳システムのプレゼンテーションを行った。理由は幾つもあるが、最も大きかったのは館内動線の非合理性だった。
D氏の経営する旅館は、建物が棟続きの本館・別館と新館で構成されている。だが、山間の温泉地にありがちな傾斜地という制約があった。例えば、本館1階がロビーで別館2階に宴会場があり、見晴のいい新館にメインの浴場がある。問題は、増築による拡大を続けた旅館にありがちな動線の悪さだった。
「新館を建てたときに、お客さまの動線を考慮した施設の再配置を計画していたのですが……」
と、動線についてD氏はいう。この計画が実行されていれば、ゆったりとした館内施設の配置とスムースな動線が同時に確保できる。だが、計画は破綻した。新館を建設したのはバブルが弾けた後だったが、かつての景気循環論に従えば、今回の不況がこれほど長く続くとは考えていなかった。景気動向の読み違えといえばそれまでだが、日本中が同じような判断をしていた状況下では、やむを得ない仕儀だったろう。とはいえ現実は、かつて14,000円台だった単価が、デフレスパイラルの中で下降を続け、10,000円を割り込む状況に至ってしまった。
D氏は「館内施設の移設や新たな動線の構築などに関連した計画は、ともに凍結状態です」と、ため息をついた。ただ、当初の計画を忘れずに「凍結状態」と表現するあたりに、D氏の基本的なスタンスを感じることができる。普通ならば計画放棄で白紙に戻っているはずだ。
さて、配膳システムのプレゼンテーションはといえば、少なくとも第1回目は不調に終わった。だが、単価の下落によって初期投資を捻出できないといった要因ではなかった。凍結とは別の「現状維持」ともいえる。館内動線に問題があるものの、全体として経営を捉えた場合には、相応の運営オペレーションによって、少なくとも平均以上のGOPや設定した目標を達成している。
そうした中でD氏は、経営の要を押さえる一方で、NPO法人による地域づくり、あるいは大手旅行業者の協定旅館連盟役員など業界活動にどっぷりと浸っている。したがって、日々の旅館運営は経理部長と総務部長、そして女将に任せている。俗ないい方をすれば、現場で「困った」とはいっていな以上、普段は不在がちな自分が「あえて口出しをしない」といった構えだった。だが、配膳システムのメリットは確実に押さえたようだ。私に再度のプレゼンを促すような雰囲気が、「参考になりました」と謙虚にいうD氏の言葉に漂っていた。そして、再度の訪問も実際に実現した。
それは、2度目に訪ねて食事を供された時のことだった。
「これは違いますね」
私は、思わずD氏にいった。それを察知したようにD氏はいった。
「コンサルタントの先生にいろいろご指導を受けたりしているのですが、どうも……現場ではうまくいっていませんね」
平均単価が下落するなかにあっても、料理は同一原価の他館と差別化を図れる大きな要素といえる。例えば、一言の説明なり会話があれば、お客からプラスアルファの評価が得られる。それがないと「並」の料理は「並以上」にはならない。その時の接待係は料理を無造作にテーブルの上に置くと、そそくさと下がってしまった。人手が足りないようだが、これは供する側の理由であってお客は理解してくれない。しかも、原価自体が下がって、メニューにも目玉や特色がが見当たらない。これでは、現状維持は衰退につながる公算が大きい。
D氏は、旅館の商品価値を熟知した経営者だ。コンサルを入れてサービス向上にも努めてきた自負をもっている。だが、そうした優れた資質も、自館の経営だけでなくさまざまな活動に分散させている状況下では、やはり総論的にならざるを得なかったのかもしれない。
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