近代経営ツールを生かす経営者像の2人目は、政令指定都市から車で1時間ほど、いわゆる「奥座敷」と呼ばれるタイプの温泉地で、客室250室規模の大型旅館を経営するB氏の人物像だ B氏は、ほかにも約200km圏内で合計5軒をチェーン展開している。
B氏との出逢いは、まるで素っ気ないものだった。その日、私は旅館のオープン披露パーティに出席していた。レセプション開始には時間があることから、大浴場へ足を向けた。温泉評論家ではないので泉質を云々する気持ちはない。だが、温泉の醍醐味を堪能できる湯と造作を兼ね備える施設だった。「原生林と湖水か、贅沢な借景だな」との思いが湧いてくる。そこへ一人の男が入ってきた。男は、私にまったく気をとめる様子もなく、浴場の造作を仔細に見て回っている。直感的に「どこかの旅館のオーナーだな」と感じた。それは、造作を見る素振りではなく、眼光の鋭さがオーナーだと感じさせたのだ。人相以上に記憶に残ったのは、その眼光だった。
レセプションの後、知己のオーナーが経営する旅館へ向かった。車で移動するほどの距離ではないが、勧められるままに同乗すると、浴場で逢った男もそこにいた。私は「先程は浴場で」といいかけたが、男には私の記憶がないらしい。話の腰が折れた感じだった。それを繕うように知己のオーナーが「こちらはBさん」と私に紹介してくれた。だが、その日は、これだけで終わってしまった。
私は、B氏に興味をもった。知己が教えてくれたB氏の旅館概要を整理すると、構造改革のビジネスにも発展させられそうだった。それから何日かが過ぎた。福岡の本社で、営業社員を呼んだ。
「先日、配膳システムのプレゼンをできそうな旅館のオーナーに会った。資料を」と指示をしてから、アポイントの電話を入れた。
電話の社内対応はスムースだった。電話口に出たB氏に訪問の意図を伝えると「わかりました。お待ちしています」と、アポイントがすんなりとれた。電話のたらい回しや、あげくの果てに不在や所在不明のオーナーが多い中で、B氏の旅館は「相当にしかりした企業」との印象をもった。第三者の訪問に対して日時を即決できるのは、自身の行動予定が明確なことを物語っている。だが、それだけだとアポイント要請に即答はできない。話の内容への理解力が欠かせない。さらにいえば、話の結果をイメージして面談の必要性を判断する洞察力が大きな意味をもっている。
一般的にみて面識の乏しい相手からのアポイントは、話しの内容が理解できずに無視するケースが多い。だが、そうした話の中には、会って耳を傾けても損ではい内容のものがある。逆に、無視することで、せっかくの好情報を逸することもある。肝心なことは、他人の話を聞く姿勢のあり様ということになる。もっとも、洞察力なしで耳ばかり傾けていると、単なる好好爺となってしまい、これはオーナーとしては心もとない。
さらに数日が過ぎた。チェーン展開をするB氏の本社は、奥座敷の温泉地ではなく、メインマーケットとなる政令指定都市の中心部にある。人口の集積地だけに繁華な街並みだが、地方都市に特有なのどかさもある。周囲に山並みが望めるせいかもしれない。都心部からさらに奥の観光地や温泉地へ向かうために、この街へはすでに何十回、百回を超えるかもしれないほど訪れている。いわば見知った街なのだが、なんとなくワクワクする自分が不思議だった。
その道すがら、「今日の訪問は成功するよ」と同行の営業社員にいった。私の直感がそういわせたのだ。
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