「求める理想は実現する」 その51
会社と社員育てる知恵を買う

Press release
  2007.05.26/観光経済新聞

 前回に続いてA氏の経営者像――。いま、彼の経営する旅館名は広く知られている。その現在の地位は、彼の手腕によってかち得たものだ。先代から引き継いだころは、客室規模が150室程度の団体型旅館であり、ロケーションには恵まれていたが、もてる環境を生かしきっていなかった。シーズン派動の中で「稼げるときに稼ぐ」といった団体志向が強く、大手旅行業者のサービスアンケートでも「並」の域にあった。当然ながら料金帯も団体価格だった。それが、この10余年で倍になっている。この間といえば、世相はバブル経済の崩壊で価格破壊に翻弄されていた。名だたる老舗旅館であっても「あの名旅館が、この価格で」という価格志向のキャッチフレーズが、巷に氾濫した時代でもあった。その中で健闘し、価格志向の逆手をとってきた。そして、業容も6割以上拡大した。

コンサルの相手としてみた彼は、私の「知恵を買うタイプ」だった。構造改革のコンサルでは、多くが総請負型ともいえるもので、導入相手はシステム内容を「丸呑み」する傾向が強かった。ところが彼は、仕組みの逐一について理解し、納得してから行動に移すといった感じだった。これは、自分自身だけでなく、関連するセクションの部課長にも同様の理解を求めた。私にしてみると、そうした対応は手間がかかる。いわば、契約内容は構造改革のシステムを提供するのが本旨であり、その範囲内の契約額であったにもかかわらず、彼の狙いは社員教育まで同時に済ませようとしているのだ。
「私に負けず劣らず計算高い」と舌をまくほどだった。だが、ここでのシステム構築は、ISOでいうPDCAサイクル(計画・実行・チェック・是正)のような作業を重ねることで、結果として最も使い勝手のいいシステムを完成させることになった。これは、私にとっても恰好の検証ステージであり、ある意味では彼とのコラボレーションだったと、いまでは考えている。
そんな思いに浸っていると、身体に微かな衝撃を感じた。目的地の空港に着いたのだ。向かった先は、馴染みの場所とは違う。業容拡大で新たに展開する施設だ。新施設の運用システムを既存と同レベルにするだけならば、私とのコラボレートで完成させたシステム内容を彼も部課長も熟知している。私は、従来の配膳システムにHACCPの概念を取り入れたHACCP厨房システムをプレゼンテーションしてみたかった。サービスや料理提供の品質をアップさせるだけでなく、「より高い危機管理意識をもってほしい」との思いがあった。
会議室でプレゼンテーションの用意をしていると、配膳システムの導入で真剣に学んでいた見覚えのある部課長が続々と集まってきた。そして、スタート。私は、プロジェクターでフリップを投影しながら説明を始めた。聴衆ともいえる彼らの反応はいい。そうなると、ついついペースを速めてしまうのが、私の悪い癖だ。そんなとき、無言で聞き入っていた彼が「皆うなづいているけど本当に分かっているのかい」と口を挟んだ。「はい」と返事をするもの、隣同士でうなづき合うもの、反応はそれぞれだが一様に理解しているようだ。それを裏付けるように中の一人が私に質問をしてきた。それは、実際に稼動させた時に対応すべき事柄だった。システム概要を説明した後で、次のステップとして運用方法を語る段取りでいたのだが、彼らは概要を聞きながら頭の中では運用時のイメージを、すでに描いていたのだ。
私から引き出した知恵を社員に植え付ける――彼の思惑は見事に実体化していたのだ。
彼は、この10余年で大きな仕事をなしとげていた。その間、社員には「駆け引きなし」で自分の考え方や働く姿を、日常の自然な形で見せてきた。また、参考になる旅館があると聞けば、自分独りではなく社員を引き連れて訪れ、それぞれの目で捉えた「いいところ」を自館にあった形で応用してきた。そのための予算も、「ほう、そんなに」と思える額を「研修費」として年間計画に反映させていたのだ。

(つづく)

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