旅館の経営にかかわる数字は、ザックリ表現すれば年商幾らに象徴される「総売上高」であり、そこから差し引く「総経費」、そして残りが「返済原資」といった形になる。経営者は、それらをマーキングのポイントにしているわけだ。
ある経営者がいった。「出るお金を計算することで、どれだけ売り上げなければならないかを弾きだす」と。総経費から総売上の予算を算出する図式だ。この思考方法に同感の経営者は、少なくないと想像できる。結果として「客単価」や「稼働率」が重視される。御幣はあるが、職人の手間賃のような人工計算で、「幾ら売り上げるか」と予算を算定している。
この図式は、単価や稼働率の予測に齟齬がなければ、とりあえず問題ない。だが、現実は予測どおりにいかない。バブル経済崩壊後の15年ぐらい客単価=売上高の下落が続き、現時点までに平均で40%ぐらい下がったといわれている。「これまでに経験したことのない厳しいい景況だ」という旅館経営者の声が、現実を物語っている。つまり、予測が成り立たないということは、裏返せば経営が成り立っていないということに等しい。
理系の私としては、数学モデルの初期値敏感性を想起する。小数点以下数桁のわずかな違いは、予測精度に僅少な差が出るぐらいと、20世紀の中ごろまでは考えられていた。ところが、実際には近似値どころか、まったく違う結論に至ることが発見されたのだ。天気予報が当らない一因も、そうしたところにある。天気予報と旅館経営を同じ土俵で論じる気は毛頭ないが、コンマ以下でも予想が大幅に狂うとなれば、毎年2ケタ前後の下落では、予想のたてようもない。
数学モデルの話はともかく、状況が変化して予測が難しくなったにもかかわらず、多くの場合に旧来の発想のままで、単順に売上や客単価を維持しようとする傾向が否めない。いわば、大工の手間工賃ともいえる単価を、常に高い状態にもっていこうとする姿だ。
もちろん、設備やサービスの再投資、それと料理原価の再投資が欠かせない旅館経営にとって、再投資自体が共通課題である以上、単価を高く維持しようとする気持ちもわかる。ところが旧来の発想でそれを続けるには、さまざまなハンディキャップがあることも忘れてはならない。例えば、旧来のままで原価を「宿泊単価の20%」といった掛率にすると、原価の絶対額が高くなる。予算価格で販売できれば、それは余力になり得るが、割引価格で販売するとマイナスに作用する。売価が下がれば、原価もスライドするので「問題なし」とするのは早計だ。品質を維持しようとすれば、本シリーズで再三述べたように予算と実勢の間にギャップが生じる。そのギャップを埋めようとすると、高額で得た利益を定額に補填する「貢ぎの構図」に陥り、本来のプロフィットを失う。また、失うのはプロフィットだけでなく、価格設定に欠かせないブランド力まで低下させてしまう。
ある経営者は「ブランド力を落とさないために、6割を予算価格で売り、足りない分を叩き売るってコントロールする」という。その際に、「大手エージェントとローカルエージェントを使い分けている」ともいう。そこに、戦略と戦術がある。
いずれにしても、GOP(償却前利払い前利益=粗利益)が低ければ何もできないし、健全な旅館はGOP20%以上に設定している。そうした旅館は、銀行を手玉にとっても、自ら手玉にとられることはない。だが、GOPが15%を割ると、銀行が何らかの経営介入をしてくる。プライドを傷つけられた悔しさを胸に刻まなければならないのだが、現実には「仕方がない」とうそぶく。こうした現実に対して、真っ向から「自分は豪腕経営者だ」という経営者を私は知っている。その旅館は、建物も古くGOPを出し難い施設で経営的にもギリギリのライン上にいながら、銀行に手玉とられる形ではない。その要因は、返済原資を常に確保して銀行とつきあっているたからだ。それは、「GOPにこだわるのが経営の基本」ということの証左といえる。
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