前回は、現在の世界的な不況が単純な景気循環ではなく、長期短期のさまざま景気循環論の「谷」がいくつも重なった複合不況ではないかと述べた。目先の事象だけを捉えれば、価格が安ければ売れる「薄利多売」で乗り切れるような一面がある一方、安いだけでの価格競争では淘汰される懸念が、常につきまとっている。
言い換えれば、マーケットの価格志向は無視できないが、それのみに迎合していたのでは企業が生き残れない段階に来ている。10年ほど前に一部の経済学者が、これからの日本経済について「右肩下がりを前提にした経営目標が必要」と主張していたことがある。その論が受け入れられた形跡はないが、従前の「右方上がり(経営の拡大)」だけでは立ちいかなくなるとの予見が、まさに実体化し始めているようだ。
ただし、こうした悲観論に陥って嘆くだけでは、あまりにも無策だ。これまでは、売上の増大や規模の拡大が企業経営を評価する第一義だったが、その発想を捨てれば悩みの多くは解決する。それには、評価の第一義をGOPに移せばいい。俗な言い方をすれば、売価を下げても、あるいは販売量を減らしても、企業として「儲かっていればいい」と考えることだ。この発想は、薄利多売ではない。言葉として多少乱暴だが、薄利多売の反対の意味で「厚利少売」であり、別の言い方をすれば「減収増益」の経営だ。
バブル経済の時代を振り返えると、表面的には右肩上がりの景況であり、価格は「厚利多売」のように映るが、水面下での過剰な投資で実態はインフレ価格の薄利多売に等しかった。したがって、バブルの宴が終焉すれば、過剰投資がそのまま負の資産として残ってしまった。
余談ではあるが、薄利多売は大量生産と大量消費によって形づくられた。大量生産とは、オートメーションや流れ作業による生産手段の高度化によって実現した。生産側の理論が優先したもので、マーケティングの面から捉えるとプロダクトアウト(生産者視点)の発想にほかならない。ところが消費者の生活が豊かになると、他人とは異なるものがほしくなり、そうしたニーズに応じなければ売れなくなる。そこでマーケットイン(消費者視点)の発想へ移っていった。
産業界のマーケットインの潮流に翻弄されたのが、実はバブル時代の旅館だった。小規模業態の旅館は、大量生産で画一的な商品と根本的に一線を画すものだった。日本全国の旅館客室総数が100万室あったとしても、旅館個々をみると100室を超えれば「大型館」と呼ばれる。それぞれが旅館としての文化と伝統を備えていると考えれば、消費者のニーズがどんなに多様であっても、その特定のニーズに応じることのできる旅館が、何軒もあったはずだ。ところが消費者の「多様なニーズに応える」との名目で、外野が旅館にさまざまな難題をもちかけた。結果として、個性化とは名ばかりの没個性な旅館が全国に多出してしまった。
こうした経緯を振り返るとき、そこに新たな出発点が見えてくる。結論から言えば、儲け(GOP)を第1に据えた発想と仕組みの再構築にほかならない。なぜならば、儲けが上げられない企業など、市場経済のなかで存在し得ないからだ。だが、周囲を見回してみると、いわゆる赤字経営の会社がいかに多いことか。そして「何かがおかしい」と言うだけで、結果は不況など外部要因でその場を糊塗している場合が少なくない。これでは、いつまで経っても根本的な解決にならない。
本稿では、経営に潜む問題点と解決方法を、設備や仕組みなどさまざまな角度から検証してきた。タイトルを「求める理想は実現する」としてきたのは、日本の文化と伝統を継承する旅館が抱いている「理想像」を前提に据え、従前の経営手法を踏襲しながら、新しい方向性を模索する大いなる野望があったからにほかならない。だが、直射的なGOP論が必要だと痛感した。したがって本稿は今回を最終とし、次回はGOPに特化した新稿に移りたい。
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