前回、自社のラック・レート(一般的な基準価格)が変化しているにもかかわらず、運用システムが旧来の延長線上にある点を指摘した。つまり、ハード的には変わっていないのだが、GOPが以前より下がっている要因は、運用システムに原因がある。現象面については、経営者ならば誰もが実感しているはずだ。この状況を打破する切り札は、「料理運営コスト」の発想に基づく運営システムの構築をおいて、ほかにはない。
現状の低単価化に対しては、幾つかの捉え方がある。集約するとラック・レートの設定方法、マーケットの値ごろ感の2つが大きい。このうちラック・レートについては、設備投資をする旅館側の都合で決めている点を、すでに指摘した。本来、立地に関連したさまざまなアセスメントを行い、マーケットのポテンシャルを精査してから設備投資を行うものだ。しかし、これまでの旅館業界では、言葉は悪いが「勘と度胸」で不動産業のカナメである施設をつくってきた。このために、投資額から単価を弾き出すことが多かった。売り手市場ならばそれも可能だが、バブル崩壊後は通用しない。結果として旅館が破綻する大きな要因の1つになったのが、アセスメント軽視だったとも言える。(拙著『これが、答えだ』観光経済新聞社刊、参照)
余談だが、ファンド系の安売り旅館は、経営破綻した旅館を再利用している形とも言える。イニシャルコストが低いために、運営コストで帳尻を合わせばやっていける。破綻した旅館が、地域の旅館業者へ今なお悪影響を及ぼしている――とは言いすぎか…。
本題に戻ろう。前述の集約として示した2つ目の「マーケットの値ごろ感」は、マーケットのポテンシャルにも通じる。また、ファンド系が価格破壊を利導した結果、安売りに拍車がかかって価格志向の圧力が強まったともみられる。同時に前述したラック・レートそのものの決め方も相乗的に加わっている。価格破壊が始まったころに「これまでの旅館の宿泊料金とは何だったのか。こんなに安く泊れる」と言った言葉が、消費者の間でしばしば囁かれていたことを思い起こしてほしい。これらが相まって現在の値ごろ感を形成したとは、決してうがち過ぎではないはずだ。
こうした現在のマーケットの値ごろ感は、どんなに旅館が窮状を訴えたところで変わるものではない。マーケットのポテンシャルが、現在の安売り価格程度にしか対応できないと言うことだ。ポテンシャルを超えたプライスに対しては、「買わなくてもいい」との答えしか返ってこない。価格政策でファンド系が利導した現実の値ごろ感は、意に反するだろうが呑まざるを得ない。
しかし、伝統的な日本の宿泊施設である旅館には、旅館流ホスピタリティをはじめ多様なノウハウが潜在している。運営システムさえ新たに確立すれば、旅館の真価は発揮できる。伝統は収斂、文化は創造へのベクトルだと前述した(第141回)ように、新しい運営システムの構築は文化の創造にほかならないし、伝統に磨きをかける役割も経営持続によって同時に果たされる。その決め手が「料理運営コスト」の発想だ。
いずれにしても肝心なことは、旅館の特色を表出することだ。かつて「差別化」と呼ばれたものであり、言い換えれば選択されるための誘引要素を、明確に打ち出すことが欠かせない。それは同時に、利用者のニーズを満たすものだ。しかし、受ける側の旅館がGOPを確保しとうとすれば、利用者の側のニーズには応じられなとしたのが旧来の発想だ。第140回の稿で単価1万円のコストバランスを、「4000=X+Y」の数式で示した。いわゆる原価率(X)は、15%でも倍の30%でも問題ない。Xを高くすれば料理で勝負、Y重視なら人的サービスでの特徴づけも「料理運営コスト」から導き出せる。もちろん、適正なGOPは確保できる。旧来の観点で原価率を云々するだけでは、時代に対応できないことを胆に銘ずる必要がある。(つづく)
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