料理運営コストの見直しとは、これまでにCSやESを損なうものでないと指摘した。旅館運営の構造改革の視点では「人の動き、モノの動き、意識の動き」の中で、「人の動き」を変えるだけでコストは大幅に削減されるとの意味だ。従業員が50人程度の旅館ならば、数千万円の額になる。単に運営を変えるだけで、そうした効果は出てくる。
前々回の稿で、経営者が「やれることは、やってきた」と言っても、ミクロとマクロの両面から改めて運営実態を検証してみると、実際には何も手を打っていないのに等しいケースが大半だと述べた。これは、旅館が全体でひとつの有機体のようなものであり、例えば人間が身体のどこかに「痛み」を感じた場合、原因が痛みの部位に起因するとは限らない。歌の文句のように「氷枕で風邪ひいた」と、治すつもりが逆効果を引き起こすことも少なくない。歌ならば笑って済ませられるが、経営での勘違いは致命的な悪化につながっていく。
そうした観点からシフト運営を1例に考えてみよう。表面的には、一定の時間帯に「必要な人員」が遅滞なく稼働するための「時間割」のように思われている。いわば、必要な人員を「割り振る仕組み」と捉えられているが、これは勘違いだ。「必要」な「人員」を合理的に運用するのがシフトだと言える。
20人の接客係がいたと仮定する。繁忙日には20人全員が稼働し、閑散日は8人で対応する。その割り振りだけで、果たして十分なのか。仕事の経験年数や練熟度(技量)、あるいは個人の資質(業務に対する姿勢ほか)が割り振りに反映されていなければ、日々にCSが変わってしまう。技量や資質でランクづけを行い、そのランクが割り振りに反映されている必要がある。それらについて筆者は、かつて「2対6対2の法則」を述べた。俗な言い方をすると、高い評価が2割、普通以上と普通評価が6割、普通以下が2割と言った捉え方だ。頭数だけの人数合わせだと、閑散日に「高いと普通以上」と「普通と普通以下」だけで構成されるケースが生じる。CSに表れる両者の格差は顕著だ。必要な人員の「必用」とは、頭数でなく技量ランクのバランスも満たしていることが求められる。また、評価が「高い」とされる社員は、休暇をとりにくい状況が生じる。これはES面のマイナスに作用する。
つまり、シフト運営ひとつにしても、単なる時間割の域にとどまっていたとすれば「やれることは、やってきた」の言葉が、いかに空疎であるかが分かる。言い換えれば、人事考課が適切に行われていない中でのシフト運営は、頭数を合わせただけでCSもESも度外視していることになる。そうした中で、技量バランスを考慮したシフトを組むと仮定すると、仲居頭のように各人の技量を把握したベテランに委ねられることになる。その場合に社内の仕組みとしての人事考課制度がないと、技量把握はベテランの「勘」に頼ることになる。5人10人ならばそれも可能だが、接客係が30人50人と増えれば簡単にはいかない。さらに、CSとしての技量だけでなく、社員の私的な要望(休暇など)に応じるESにも配慮しなければならない。
CSとESの両面を満足させるシフト作成は、一方で膨大な時間を要することになる。また、効率的な運用の「手段」であるシフトが、それを作ること自体が「目的」となり、有用なベテラン社員の本来の力を浪費することにもつながる。筆者は、これまでに何度となく「いいとこ取りでは本物にならない」と指摘してきた。シフト運営自体は、決して難しい発想ではない。だが、人事考課をはじめマネジメント全体として有機的に結びつける発想と仕組みが確立されていなければ、冒頭の「治すつもりが逆効果」になることを知らなければならない。
オールラウンドによって接客可能な人員数の増加を図り、料理運営コストを見直すことで、「人の動きを変えるだけでコストは大幅に削減される」と言う冒頭の目的が果たされる。コンピュータもツールとして活用できる。(つづく)
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