「儲けるための旅館経営」 その9
伝統を守りつつ進化を続けよ

Press release
  2009.9.19/観光経済新聞

 マーケットの流れとしては、価格志向が強まる中で安価な価格帯へとシフトしている。そうした流れに竿をさしたところで、よほど特色ある特別な旅館以外は、時代の流れに逆らうことはできない。だが、そうした流れのままに座して末路を嘆くなど、もってのほかだ。安価であっても、それでも儲かる仕組みを考え、それを行動に移せばいいだけのことだ。「合理化をはじめ打てる手は打ってきた」と多くの経営者は言うが、果たしてそう言い切れるだろうか。

アメリカでチェンジを訴えたオバマ大統領が誕生し、戦後の日本を支えてきた自民党政権が、初めて野に下った。どちらも最善の選択かどうかは、後の時代が評価するものだ。とりあえず現状の閉塞感が変えられるのではないか、と言った淡い期待感が時代を動かす原動力だったような気がする。

よく、是々非々という言葉が使われる。肝心なことは、是々非々の判断を下す発想そのものに、固定観念や淡い期待が作用しているのも常だということ。例えば、新しいものが是であり、古いものを非と考えがちだが、新しいものにも非はあるし、古いものにも是はある。守るべきものと、変えなければならない事柄の見きわめといってもいい。

旅館にあてはめて考えれば、日本の伝統と文化の両立といってもいいだろう。伝統とは、試行錯誤の末にたどり着いた形と、それを作り上げた精神を守り続けることと解していい。これに対して文化は、今よりも「よりよい形」を模索する精神活動にほかならない。ともに精神活動であることから混同されがちだが、伝統は「守り」であり、文化は「進化」なのだ。端的に言えば、旅館でお客さまを「もてなす」と言う伝統は、形ではなく精神が継承されていなければ形骸化してしまう。口先だけの言葉や慇懃無礼な態度では、心からの満足はしてもらえない。

一方、文化は時代とともに進化する。卑近な例だが、家庭に洗浄式トイレが普及した今日では、それを取り入れるのが文化として理にかなっている。かつて、石の中央に「口」の字を彫って手を洗う水を溜め、四囲の文字と合わせて「吾唯足知」と読ませる蹲(つくばい=手水場の手洗い)を置くことが、知的な満足も満たす文化の一端だった。現在もそれを置くことは否定しないが、それを伝統と勘違いしてはならない。伝統を醸し出す演出ツールにはなり得るが、「吾唯足知」の意味を解さない人間には無用の長物でしかない。むしろ温風乾燥機の方が文化的だ。 肝心なことは、単に便利なだけでなく、洗浄式トイレや温風乾燥機を導入するコンセプトが、お客さまに「よりよい形」を提供するという旅館の伝統的な精神が、表裏一体の関係として従業員全員に行きわたっているか否かがカギだ。

 前置きが長くなってしまったが、発想の転換とは、伝統と文化の精神的な支柱を変えることなく、合理的に(この場合は経営のマネジメントを)転換し、伝統の「もてなし」をその中で実現させていくことだ。満足の要素は第6回の稿で示した「宿泊、温泉、食事」に尽きる。その時に、伝統(守り)にしばられて文化(進化=儲けられるマネジメント)を見失ってはいないかという点だ。

極論をいえば、豪華な羽毛布団でなければ満足は得られないのか、立派なパウダールームと高級化粧品を備えて置かなければ温泉の満足は得られないのか、接待係が30人いなければ食事の満足は得られないのか――いまはバブル時代とは違う。安価な価格帯に対応するには、相応のマネジメントが必要だ。ただし、是々非々で指摘したように、固定概念の延長線上では、発想を変えるマネジメントは生まれてこない。まして、小手先の差別化で集客増を狙うなどの淡い期待は、自らコスト増を招くことになる。
 旅館は儲けなければならない。儲かるのだ。これを肝に銘じるべきだ。