いま、旅館経営で焦眉の急は、いかにして利益を確保するかだ。逆に、利益の出せない企業経営などあり得ない。極めて当たり前のことが、不況が長引くと感覚にマヒが生じて忘れてしまい、タコの足食いのようなその場しのぎが横行してくる。設備投資をはじめとするイニシャルコスト、日々の運営に欠かせないランニングコストなどを計算すれば、1泊2食で1万2000円が妥当な商品を1万円で売ってしまう。市場の価格志向を捉えれば、そうした価格でなければ売れないと言う結論になる。2000円の不足分を、自社の足食いで賄えるうちは、それでも何とか経営を続けられるが、足を食いつくせば行きつく先はみえている。
だが、日本の宿泊産業として独自の文化と伝統を形づくってきた旅館が、そのような末路をたどっていいわけがない。危急存亡の危機を言う前に、なすべき手をどれだけ講じてきたを顧みる必要がある。そして、利益を出すための施策を1つひとつ積み重ねていけば、バブルの再来とは異なる堅実な利益構造をもった旅館に再生できると確信している。
そのためには「どこで損をして、どこで儲けているか」を洗い直してみることが、最初になすべき事柄だといえる。ざれ歌に「恋の病にお医者を呼んで、氷枕で風邪ひいた」などとあるように、見当違いな処方では治療もできないし、新たな病気さえ引き起こしかねない。肝心なことは、病根を突き止めて治療することだ。もっとも、それ自体が当然の発想であり、「わかりきっているが、打つ手がない」と言う言葉が多くの場合に返ってくる。その場合の病根について、ある経営者が言った。
「昨年のリーマンショック、そして今年の新型インフルエンザなど、世界規模で景気を失速させる大要因が渦巻いている。ゆえに、わが社もあおりを受けて厳しい経営状況に置かれている」と。
心情的には理解できでも、自社の病根を考える上での合理的な説明にはなっていない点に、当人は気づいていない。かつて、共同幻想といった言葉があった。そこには、現実を直視しているようであって、実は自分自身の現実を棚上げしている面が多分にあった。現在の不況感も個々の企業に置き換えると、外部要因に転化している感が否めない一面もある。
これは、問題を捉える人間の立ち位置にかかわっている。例えば、リンゴが木から落ちるのを見てニュートンは万有引力を発見したと言う。では、それ以前にリンゴが落ちるのを見た人間は1人もいなかったのか。もちろん、そんなことはあり得ない。だが、大多数の人々にとっては、「なぜ落ちた」のか以上に、「売りものに傷がついた」「労せずリンゴが得られた」など、結果の利益不利益が最大の関心事だった。そこに現実一点張りの限界がある。リンゴだけでなく地球上のあらゆるものが引力に作用されていることが分かれば、自分の経験則で想定できない事柄にも合理的な予測ができるようになる。言い換えれば、「なぜ」と言う疑問符を忘れると、現実だけをみて「わかりきっているが、打つ手がない」式のジレンマに陥ってしまう。
実体経済に自社の状況を照らしたとき、当然と思える結論に「なぜ」の疑問を抱いてみることが、実はいま一番に求められていることだといえる。極論すれば、世の中の不況感を共同幻想と捉え、「自社には無縁だ」と言い切れるぐらいの独自の答えを探し出すことが大事だ。そのためには、急がば回れではないが、「どこで損をして、どこで儲けているか」の根本を見定める必要がある。
昨今、軽佻浮薄な「裏ワザ」なるものが横行している。だが、経営に裏ワザなどあり得ない。論語の一節に「行くに径(こみち)に由らず」とある。小道は、裏ワザのような近道にも思える一方、行き詰まることも少なくない。焦って小道に迷い込む愚が、許される時代ではない。本稿は、読めば「儲かる」と言った裏技ではく、額に汗して働く旅館経営者とともに「儲ける」ために、そしてすぐにでも取り組める実践論として書き進めたいと考えている。
|