「求める理想は実現する」その108
「定性」と「定量」を再考する(上)
Press release
  2008.08/30/観光経済新聞

 今回と次回は、GOPについて従来とは別の視点から考えてみよう。私の専門分野である疫学に「同定」という言葉がある。専門的な厳密さは欠くが、平たくいえば原因菌を特定することといえる。また、特定については、数学の「集合」から「必要条件」と「十分条件」について本シリーズで書いたことがある。モノを捉えようとするときには、さまざまな見方ができるからだ。
例えば「リンゴは果物である」といった場合を想定してみよう。「リンゴ」からみた「果物」は「必要条件」となるが、「果物」からみた「リンゴ」は「十分条件」でしかない。というのも、「リンゴ」は魚介類でも鉱物でもなく、果物以外の何物でもないために、果物である〈必要〉がある。ところが「果物」は、リンゴだけでなく、バナナやメロンをはじめさまざまなものがあって、リンゴだけに特定できない。つまり、目の前にあるリンゴは、果物の1つとして捉えようとすれば、果物の属性から掘り下げなければ捉えきれないし、逆にリンゴとして捉えるならば、さまざまなリンゴの種類から掘り下げなければ、目の前のリンゴが何であるかを説明できない。
また、冒頭で「同定」という言葉を、なぜ持ち出したかといえば、この言葉から一般的な「定性」という言葉が思い浮かんだから。同定と定性は、言葉としてほぼ同じような意味に捉えていいだろう。そして、この「定性」には対になる言葉として「定量」がある。仮に食中毒が発生したとして、それが何に起因するかを見極めるのが第一歩だ。それを「同定(定性)」という。さらに、原因菌がどの程度の量にあるのかが「定量」といっていい。つまり、「何が」が第一歩であり、次に「どのくらいの量」を求めていくのがプロセスである。「何が」も分からずに、その量を求めようとする愚はないはずだ(最近はそれらを同時に処理できる高度な計測機器も登場しているが)。
いずれにしても、そのプロセスの結果を立体的に組み合わせて、対処の方法が結論づけられる。ただし、この食中毒の話はあくまでも譬えであって、いわば「十分条件」的な1面でしかないことを、疫学の専門家としてはお断りしておきたい(実際は、いうまでもなく複雑なプロセスを踏んでいる)。
さて、定性と定量については、定性情報や定量情報といった言葉で広く使われている。これが今回のテーマといえる。メタファー(隠喩)が長くなってしまったが、本題に入る前にもう少し言葉の定義をしておきたい。
定性情報とは、いわゆる「お客さまの声」など数量化は難しいが、経営上で欠くことのできない〈ナマの声〉に代表される。語弊はあるが、お客の求める内容(成分=同定・定性)と言っていいだろう。拡大解釈をすれば、その延長線上に文化や情緒性といったものもある。
これに対して定量情報は、売上や宿泊者数、原価など過去の実績をはじめ、先行予約や見込みなど数値によって計測や集計、分析のできる情報といえる。もちろん、本シリーズの主題であるGOPも、この定量情報の1つにほかならない。
そこで、お客さまの声にあった次の1文を考えてみよう。「大変おいしい料理でしたが、62歳の私には品数も量も多すぎて、もったいないと思いながらも残しました」という。最近では、しばしば目にするフレーズだが、その意見をどのように解釈して、どう生かすかが問題だ。
この文には、「62歳」という数字も含まれているが、これを定量情報とは呼ばない。なぜなら、傾向として納得できても、それを基に「62歳以上は量を減らそう」と経営判断をする経営者はいないからだ。逆に、信頼できる調査機関が、「60歳以上の80%は品数8品で満足」という結果を発表すれば、多くの旅館で量を減らす方向に動くだろう。ナマの声に表れた傾向(定性情報)が定量情報で裏付けされたと判断できるからだ。つまり、経営判断を数値的に裏付けるのが定量情報といっていい。
だが、それだけなのか。定性と定量を再考する理由がそこにある。

(つづく)

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