企業は、個人の性格に振り回されるものではないと前号で書いた。人材として不適切なマネージャーを切り捨てられず、結果として容認している場合に出てくる「人材に恵まれなくて……」とういセリフは、愚痴の域にとどまる諦観であるだけでなく、雇用する側の姿勢や仕組みの不備であり、愚痴を口にする人間の認識不足を露呈するものとして控えるべき性質のものだろう。
また、前号で一般企業の例として「ある程度の年齢による人事」を挙げた理由の1つは、年収に見合った仕事をさせる仕組みが、そうした企業にはあるという点に注目してほしいからだ。新しい仕事に取り組む時に必要なのは、自分の性(さが)との戦いだ。それに勝ち残ることでマネージメントの能力やバランス感覚が培われる。
さて、ここで欧米などの外国企業と日本企業のマネージメントに対する考え方を比較してみよう。決定的に異なるのがマネージメントの形態だ。外国企業では「1GM4M」(ゼネラルマネージャー1人、マネージャー4人)の体制を敷いているケースが多い。これに対して日本企業では、部長が10人、課長が25人というような組織になっている。そこでの管理コストは、仮に外国企業が1億円だとすれば日本企業は倍以上も費やしている。ここで肝心なことは、1億円を単純に5人で割っても1人当たり2000万円になるが、日本企業ではその数字に程遠い。日本旅館に当てはめれば、支配人クラスの給与が幾らになるのか……。これがモチベーションの違いを生みだしていると言ってもいいだろう。
また、「他人の口には戸を立てられない」の喩えのように、そうした実態は経年によって誰もが知るところとなる。
若くて相応の経験を踏めば、将来的にみて能力を発揮できるような人材が旅館に入社したとしよう。仕事に取り組む姿勢として本来は、勤勉と努力が出世の条件といえる。ところが、その人間が先輩など周囲をみていると、喧嘩に強いか声が大きい、あるいは要領のいいことが出世の条件のように見えてくる。しかも、マネージャーになっても年俸は500〜600万円だという。大学を卒業して10年ぐらい経た時に、他の企業で働く同窓生は600万円ぐらい得ているのに対して、自分はかなり下回っている。そうなると、自分の行きつくところが見えてくる。
その時の選択肢は、離職して人生をリセットするか、あるいは給料に見合った分の仕事しかしないという開き直りしかない。だが、そうした職場は、一方でぬるま湯に浸かっているような面もあり、それがリセットを難しくしている。そうした悪循環のスパイラルに陥っていく。これが全てではないないにしても、確信犯的な発想のマネージャーに出会うたびに、そうした思いが強くなってきた。また、相当数の旅館で、そうした人間が管理層の重要な位置を占めているように思える経営形態をみかける。冒頭の不適切なマネージャーが温存される要因の1つでもある。
だが、そうした現実は、何らかの手立てで解消しなくてはならない。そこで管理者の育成をどう図るかという大きな課題がある。弊社の「わが社に勤める3カ条」を参考までに披瀝してみたいそこでは「その仕事のナンバーワンを目指す」「自分の好きな仕事をする」「自分の収入は自分で決める」としている。
これを一般的な旅館に置き換えると、第1は「管理者になる」こと。仕事に対しては、そうした強いモチベーションが不可欠だ。いわば、将来像を描いて目標を明確にしておくことと言える。第2は「旅館の仕事が好き」ということ。5年10年と勤めてくれば仕事が好きになるし、好きでなければ続けられなかったはずだ。どこが好きなのかを、自分自身で確認しておくこととも言える 第3は「仕事の結果が収入」だということ。裏返して言えば、目標を実現させることであり、結果としてそれに見合った収入を自ら紡ぎだす努力を続けることだ。決められた給与の範囲で働こうろする姿勢とは、まさに正反対の発想が欠かせない。
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