経営において最も重要な前提条件として筆者は、「量の妥協はしても質の妥協はしない」というフレーズを用いている。その視点で予約管理の実態を俯瞰すると、多くの場合にフレーズとは逆の現象がみてとれる。というのも、予約は対象が何千何万件という大きなマトであり、しかも「水物」といわれるような不確定要素に支配されていることから、ややもすると大雑把なオペレーションになっている。例えば、単品ごとの販売管理を毎日行うとすれば、その時間や手間は膨大なものになる。いい換えれば、その作業を処理するだけでも何人かの人間を貼り付けねばならず、当然ながら人件費が発生する。したがって、売上げが厳しい状況下では予約での「量の確保」が優先されて、予約販売管理の「質」として重視されなければならい単品管理などに手をかけられなくなる。模式図的にいえば「利益に乏しい=コストをかけられない」という構図が浮き彫りにされている。
だが、果たして模式図のような経営の現状だけが理由なのか。本シリーズの冒頭で述べたように、これまでの経験則の延長線上では、理想を描き難い。現状に照らしたとき、諦観が先立って理想を描く作業を放棄しているのか、あるいは「ない袖は振れない」と開き直っている姿に触れると、現状とは別の経営者資質に目が向いてしまう。これでは、未来が見えない。
解決策の1つがコンピュータで代替できる部分は、積極的に置き換えていくことだ。だが、旅館の経営者にこうしたコンピュータの話をすると、反応は活用派とアレルギー派の2つに大別できる。活用派の経営者は、キャッシュフローの状態や資金繰りの状況など、経営数値を常に把握しており、必要な時にはさらに詳細な数字を自らコンピュータから弾き出すことができる。トップとして不可欠な全国大会レベルのマネジメントリリースをしているわけだ。これに対してアレルギー派は、明確にしておくべき数字さえ経験と勘が先行して詳細を把握していない。これでは理想など描きようもない。
アレルギーの原因は、コンピュータ会社が単に「人手をコンピュータに代替させる」といった合理化発想だけで作ったシステムに毒され続けてきたからだ。そうしたシステムでは、旅館経営の前提である「顧客満足」といった発想が欠落している。また、コンピュータ会社の手によるシステムでは、旅館のハードやソフトの変更に合わせてシステムソフトを変更しようとした際に、とてつもない額の変更料が請求されたりもしてきた。陰で「高利貸しより性質が悪い」といっているのも、しばしば耳にしてきた。これでは、アレルギーも「いたしかたない」と同情の余地がないわけでもない。
これに対して筆者は、対外的には「お客さまに満足してもらえる予約システムはどうあるべきか」との発想をベースにしたうえで、内部的には「人件費を下げる」というローコストオペレーション、加えて分母(売上げ)の拡大を目途とした「販売管理」の3本柱から発想されたシステムを提唱している。肝心なことは、経営者が「これとこれを実現したい」との理想を描き、そのためには「何と何を組み合わせるか」を専門家にアウトソーシングすることだ。筆者がそう発想する背景には、コンピュータ化が目的でないという現実論がある。コンピュータ化は、描いた理想を実現させる手段でしかない。
喩えるならば、デッキやアンプ、スピーカーを組み合わせるオーディオシステムと同じだ。なぜ、個々の部品をコンポーネントするのかといえば、自分の好みにあった聞きたい音質を求めるためであって、システムの組み立てはその手段にすぎない。これに対して旅館のコンピュータシステムでは、本末転倒ともいうべき状況がしばしば見受けられる。
いずれにしても、予約にみられる質の妥協は、経営全般での「量の妥協はしても質の妥協はしない」という大前提崩壊に対する警鐘ともいえる。いわば、予約管理業務の見直しは、危機的状況を改善する第一歩であり、他部門の改善にもつながる。構造改革とは、そうした有機的関連性を発揮する仕組みなのだ。
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