前号はミクロ解析とそれに続く管理者コストとワーカーコストなど細部のツメ、そして社員のスキルを計る合理的で公平な「物差し」として「等級給与制」があることを示した。今号では、この等級給与制について触れておく。
余談ではあるが、構造改革を推進する指導会議を行っていると、しばしば耳にするのが「仕事をしていない人間(とりわけ幹部社員)をなんとかできないか」ということ。聞けば、一般職・総合職・管理職といった段階ごとに、給与の格差は当然ながらつけている。だが、仕組みは給与の格差を決めているだけだ。これでは、「その管理職を一体だれが任命したのか」といって終わりし、そうした会社で「社内の仕組みや経営者の指導のあり方に問題がある」と指摘しても、問題解決の途はおよそ導き出せないでいる。
さて、本題に戻ろう。等級給与制の原点は、一般職と管理職を区別し、それぞれの職務に求められる要求度合いに応じたハードルを設定していくものだといえる。例えば、管理職はまじめに働く「いい人」だけでは部下を掌握できない。時には部下からみると「いやな人」にもなる必要がある。それらを踏まえた等級給与制を施行して格差をつけることになる。
こうした等級給与で意識して欲しいのが、例えば「会社の千円と社員の千円の違い」という観点だ。大きな人件費を動かしている会社にとっての千円は、言葉は悪いが「たかが千円」なのだが、現場の社員には「されど千円」なのだ。また、笑顔を振りまきながらお客に接している社員と、それをしていない社員(できない力量)に同じ千円を支給するのは不公平だし、何よりも「たかが千円」でも会社の負担は社員の数だけ積み重ねれば、やはり大きなものになってしまう。それを区分けするのが力量に応じた等級給与制であり、いわば「死に金」を使うのではなく、「金を活かして使え」とい発想が仕組みの根幹にある。
また、公平感は「ガラス張り」であることにもつながる。それには、各人の能力を総合的に計ることのできる客観的な基準がベースに据えられていなければならない。例えば、基本条項(評価の基準)としては作業の質や速度などの能力だけでなく、会社への帰属意識(勤務日時への対応度など)、販売促進やサービス向上などへの立案・提案力、会社の組織(部署)内における人物評や指導力、さらに柔軟な発想や適応能力ほかさまざまな条項を想定することができる。しかし、これらを全等級の社員に求めることはできない。いい換えれば、管理者とワーカーによって求められるものが異なる。
さらに、基本条項をどのような形で等級の判断要素に組み入れるかは、それぞれの実情に即した対応が必要で一概にはいえない。したがって、給与へどのような形で反映させるかについても企業の実態を精査した上でないと判断は難しい。ただ、原則として「基本給」「諸手当」の区分は不可欠であり、基本条項での全部の原則が全社員にあてはまらないことの裏返しとして、等級別に「どの手当を支給する・しない」などの考慮が必要だ。また、等級を何段階に設定するかなども画一的には語れない。さらに細密な「社員の職能給制度」といった総合的な人事考課の展開まで企図しなければならないからだ。
こうした諸制度について構造改革の手法では、等級給与のモデルだけでなく、考課でも「社員自己考課」「所属長考課」「考課委員会」「個人面談」を経て、年俸や達成目標を決定する仕組みなどの総合的なシステムを用意している。
ともあれ、冒頭の仕事をしない人間、とりわけ幹部は問題だ。俗ないい方をすれば、「社長は胃を痛めながら経営に携わっているのに、幹部はその痛みを共有していない」のに等しい。業績のいい会社では、社長と同じように「胃を痛めている幹部」が何人もいる。それが業績のバロメーターにもなっているのだ。
大切なことは、現行の人事考課体制を見直し、実情に合った職能給制などを体系的に整備する必要があることを、ここでは指摘しておきたい。
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