「旅館再創業」 その81
人件費「単に削減」は下々策

Press release
  2006.03.18/観光経済新聞

 構造改革を一定のセオリーに則って進めていくと、ミクロ解析を終えた次の段階として、管理者コストとワーカーコストなど細部のツメを行うことになる。いい換えれば、構造改革の狙いの一つである運用コストに潜むムリ・ムラ・ムダの削減において、現状では人件費への取組みが「焦眉の急」と考えられるからだ。
例えば、100室前後の規模の旅館が「これから人件費を年間5千万円程度の削減をしたい」と考えた場合、何から着手すべきなのか。闇雲にカットする従前のリストラ方式では、社員の指揮低下・サービス低下・品質低下は火を見るよりも明らかであり、そうした類例は枚挙に暇がない。最悪なのは、消費者に認知されていたイメージ(グレード)まで低下させてしまうことだ。
というのも、宿泊単価で1万5千円、2万円設を定している施設では、イメージとしてスチュワーデスに近いぐらいか、あるいはシティーホテルのレストランやフロントなど接客最前線で卒のない力量をもった社員が、本来は接遇にあたらなければ消費者の抱くイメージとの間にミスマッチが生じることになる。
このことは、次の事例が如実に物語っている。労働集約型産業である旅館ホテルにおいて、現在のような原価割れにも等しい販売構図の状況下にあると、適正な人件費さえ確保し難くなっている。そうした状況を現わす一端として、接客要員に外国人(中国人ほかの研修生)を雇用するケースの増加がある。
外国人研修生の雇用が悪いというわけではない。構造改革では、パートの活用をしばしば指摘し、社員からパートへの移行を推奨している。だが、現状での研修生の活用とは、大きく意味合いが異なる。パートも研修生も帳簿上に表れる「人件費としての数字」だけを捉えれば「同質」のようにも思われがちだが、構造改革でいうところのパート化は、そうした数字のみを追い求めているのではない。極論をいえば、パートでも研修生でもいい。肝心なことは、「なぜパート化」を図るのかという根本の「理解の仕方」にある。
そうした理解を抜きにして、人件費の低減効果のみを追っている現状の研修生雇用の状況は、まさに異常でしかない。だが、それくらい人件費原価をかけられない状況に置かれているともいえる。
では、どうするのか。結論からいえば、「サービスの可変体制」を敷く方策の1つがパート化であり、状況によっては研修生の活用も可とする手法を、状況に照らしながら構築するのが構造改革なのだといえる。平たくいえば、宿泊単価に準じたサービスグレードを定め、高額のお客には年俸制で一定のスキルを満たした社員があたり、7千円ぐらいのお客にはパートレベルの接遇要員があたるという考え方だ。この、サービス可変体制を敷いていかないと、これからの経営は成り立たない。
逆に捉えると、そうした構造改革は、単にコスト削減のみを追及したものではないということだ。ムリ・ムラ・ムダを省くことで生じた余力(利益)は、接客サービスの向上に回すこともできるし、等級給与制に基づいて社員に還元され、モチベーションを高めることにもつながる。
いい換えれば、前述した「人件費をかけられない現状」を改善しながら、同時に必要な箇所には厚く、不要な部分は徹底して削減するのが構造改革の本旨なのだ。いわば「企業の余力」の源でもあり、それがひいては社員の待遇改善にもつながっている。企業が生き残っていくためには、こうした二重三重の発想がなければならない。
そこで、この段階では冒頭のミクロ解析とそれに続く管理者コストとワーカーコストなど細部のツメが必要になってくる。ミクロ解析とは、すでに何度となく書いてきたことではあるが、要約すれば「作業内容と質やレベルに応じて要員構成を見直す」ことだ。
そのときに、社員のスキルを計る合理的な「物差し」が欠かせない。同時にそれは、社員からみて公平感の感じられるものでなければならない。それが等級給与制だ。

(つづく)

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