「旅館再創業」 その79
企業にとっての余裕とは(下)

Press release
  2006.03.04/観光経済新聞

 号前では、企業にとっての「余裕」をキーワードに若干の思いのたけを書いてみた。そこで、これを構造改革に置き換えてみよう。
構造改革の視点で企業の余裕をとらえたとき、ポイントになるのが「時間の余裕」「カネの余裕」「組織の余裕」といったものに収斂する。これを活かすのが経営者の「先見の明」であり、大所高所から捉えることが大切だ。その意味で現在連載中のサゴーロイヤルホテルでは、大所高所からとらえる「余裕」がある。しかもここでは、1リゾート旅館といったくくりではなく、複数の企業を運営するサゴーエンタープライズとしての将来像を踏まえた再構築が、社長・小野晃司によって企図されている。
これまでのサゴーエンタープライズは、構造として利益を保てる部分があった。しかし、消費構造が変化する中にあっては、過去の構造だけで利益が保てるとはいい難い。いい換えれば、そうした変化を看過すれば、いずれは収益性が低下することも決して否定できない。
そこで、従来の構造のままでは利益の出難くなっている部分を、「時間の余裕・カネの余裕・組織の余裕」のあるうちに再構築するのが望ましいわけだ。それがサゴーロイヤルホテルの構造改革であり、そこに「先見の明」を見出すことができる。
この「先見の明」を一般的な現実の場面に当てはめてみると、次のように喩えられるだろう。善きにつけ悪しきにつけ、経営者であれば自社の経営にどっぷりと浸っているはずだ。経営を「よきに計らえ」などと疎かにしているのは論外だが、浸りすぎて真の状況を把握できていないのも、「大いなる不明」といえる。だが、実際には真剣であるがゆえに、目先の現実にとらわれてしまう。そのことが、結果として大所高所からの舵取りを誤ることになり、気がつけば銀行からの資金調達さえ難しい状況に追い込まれているという悲劇もある。そして、経営が回らなくなり、構造改革の必要性に目覚める事例は、決して少なくない。そうした状況に陥らないためには、マクロとミクロの両面から現実を捉えることにほかならない。そして、現実を踏まえながら将来への透徹した論と実行に移す体力を培う努力が「先見の明」といえるだろう。
もう少し付け加えるならば、前々号で余裕があってもしないのを「放漫経営の放置=惰性経営」、余裕がなくてしないのを「先見の明の欠如=綱渡り経営」と喩えた。そして今、これまでの構造改革に取組んできた施設のファイルを検証してみると、実名を挙げて語るわけにはいかないが、極めて類似する事象が見受けられる。
その一つには、「にっちもさっちもいかない」といった状況から構造改革に取組んだケースもあるが、そうした場合にしても実は「成熟期の繁栄」を謳歌していた期間が、まぎれもなく「あった」ということがみてとれる。いわゆる「老舗」「地域の顔」といった評価を受けていたのだ。
そうした名旅館が、なぜ苦境に立たされたのかといえば、バブル経済期の過剰投資とその後の経済環境の変化、とりわけデフレスパイラルによって当初計画どおりの売上が確保できなかったのが大きな要因だった。これは、まぎれもない事実だが、バブルの崩壊直後はどうだったか。過ぎてしまったことを蒸し返しても詮無い話だが、肝心なことは、崩壊当時にはバブルの余韻として残っていたはずの余裕――とりわけ「組織の余裕」はあったはずだ。それを食い潰してからの構造改革は、まさに乾坤一擲の「再建手段」にほかならない。
それでも、構造改革で相応の成果を得ることはできる。だが、ここでの成果は「余裕があって取組む構造改革の緒に就いた段階」との認識が不可欠だ。第2の青年期・壮年期の前に立った段階といえる。この後を続けなければ「元の木阿弥」なりかねないし、せっかくの「再創業」をフイにしたケースもある。
その意味でサゴーロイヤルホテルの構造改革は、現在ある余裕を次の段階に発展させる成長スパイラルなのだ。


(つづく)

  質問箱へ