「旅館再創業」 その78
企業にとっての余裕とは(上)
Press release
  2006.02.25/観光経済新聞

 何気なくつけたテレビの画面から、地元の観光情報が流れてきた。例年ならば天満宮(大宰府)の「飛び梅」が満開になっているはずだが、今年は異例の寒さで1カ月近くも遅れているという。「もう、そんな季節になったのか」との思いが湧く一方で、EU視察後も出張が続き、季節感に浸るくつろぎのひと時など、とんと忘れていた。
我ながら情けない仕儀だが、そんな思いを抱きながらも、ファイル整理の手を止めることができないでいる。それには、相応の訳があった。
というのも前号では、サゴーロイヤルホテルの構造改革について、後ろ向きの見方をする読者がいたことへの驚きと、それが大いなる誤解以外の何ものでもないこと指摘した。私は、手許にある数十件の構造改革実施施設のファイルに改めて目をとおし、ある種の区分けを試みていた。

すでに幾たびとなく書いてきたことだが、確かに、企業がにっちもさっちもいかなくなり、いわゆる「再建策」の一手法として構造改革に着手したケースも少なくない。だが、それがすべてではない。むしろ、健全な企業がさらに1段、2段のステップアップを目指すために取組んだケースの方が目に付く。
そんなとき脳裏には「健全」に触発された「余裕」の1フレーズが点滅した。企業にとっての余裕とは「何だ」というようなインスピレーションといってもいい。こうなるとイメージは止まらない。「時間の余裕」「金の余裕」「組織の余裕」と次々にテーマが浮かんで止め処がない。
そして、唐突に「スパイラル」(らせん)といった言葉が湧いてきた。目の端が、近著『これが、答えだ。』を捕らえたからかもしれない。この中でも、「デフレスパイラル」という言葉を使っている。だが、いま浮かんできたのは、いい意味での「成長スパイラル」だ。
構造改革の本題とは多少のヅレもあるが、行き着くところは同じようなものであり、余談として一端を記してみよう。
人間でも企業でも、幼年期・青年期・壮年期と成長を続けるが、その先には必ず成熟(熟年)期が訪れる。限りある人間の一生では、成熟期が人生時計の午後であり、やがて黄昏が訪れる。そして、人間は人生時計の日付変更線を越えることはできない。
だが、企業は違う。第2、第3の青年期・壮年期を繰り返すことができるし、それが一代限りでは終わることのない「企業の永続性」というものだ。
模式図化するならば、渦巻き蚊取り線香のように、企業は出発点である中心部から、外周へ向けて無限の拡大スパイラルを広げていく。そうした中で成熟期は、過去のスパイラルが広げてきたある時点を基点に、外周へ向けた動きではなく、同心円的な動きへの変化ともいえる。いわば、発展よりも守りの動きが主となってくる


だが、人間がつむぎ出す社会環境は、大袈裟にいえば人類誕生から現在まで、留まることなく絶えずスパイラルな発展を続けている。素晴らしい発明であっても、いくつかのジェネレーションを経た後には陳腐化し、その発明を下地にした新たな発明がなされているのが常だ。企業を取り巻く社会環境や人間の営みも同様だといえる。
そうだとすれば、同心円運動を続ける企業は、やがては社会の変化に取り残されてしまう。その事例は枚挙に暇がない。
ひるがえって企業の余裕・余力は、この同心円運動期にある。いわゆる成熟期である。当面必要とするハードもソフトも充実し、成長のために繰り返してきた大型投資も一段落したかの様相を呈してくる。加えて、構築してきた利益構造が、当面の利益を確保してくれる。傍目には順風満帆、自らも鷹揚に構えていられる。
そうした成熟を謳歌できる期間は、構築してきたものの条件によっても異なるが、ただ一つだけいえることは、未来永劫には続かないということ。いわば、成熟期のどの時点で、新たな構造づくりに着手するかがカギなのだ。それが、新たな青年期・壮年期の始まりといえる。

(つづく)

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