「旅館再創業」 その65
ポスト万博にらみ運営変更
Press release
  2005.11.05/観光経済新聞

 サゴーロイヤルホテルの構造改革は、配膳システムの構築からスタートした。10月の運営指導会議時点での話の前に、なぜ、配膳システムだったのかを語らなければならない。
というのも、ここ舘山寺温泉――というよりも、万博開催地周辺の宿泊型観光地に共通していえることは、ポスト万博をにらんだ施策が不可欠だった。結論的にいえば、昨年の浜名湖花博と今年の万博は、ある種の皮算用が働いて通常の経営感覚を、多少なりとも歪める因子になっている。ところが、構造改革の視点からみると、旅館の運営体質には「ムリ・ムラ・ムダ」が多分に含まれており、その上に博覧会の「宝くじ的集客要素」が加わると、さまざまな面で運営体制が肥大化し、経営感覚の歪みは「多少」では納まらない。いわば、もともとあった糖尿病と肝臓病を一気に表面化させてしまう。

また、万博の「熱病」で感覚が歪むと、例えば従業員が辞めれば当然のごとく補充する。いわば、目先の動きにとらわれて将来を含む運営の全体像が捉えられなくなる。結果は、事後に茨の道を歩む。これを防ぐには、運営体制の現状を徹底的に解析し、先んずる方策を立てるしかない。
そうした意味あいから私は、ポスト万博をにらんだ総合的な人員計画をサゴーロイヤルホテルに提案した。それは、万博が開幕するよりも前の今年1月のことだった。その筆頭が配膳システムだった。
配膳システムは、名称こそ「配膳」の冠を被せているが、単に「膳を配る」というものではない。厨房から接客、フロント周辺にまでおよぶサービス体系を包括している。接客部門の作業を単純化・平準化・標準化することで、作業に含まれている「ムリ・ムラ・ムダ」が解消され、余力は送迎やパブリック部門のサービス向上に向けることができる。もちろん、肥大化した陣容をスリム化させて、人件費の経営負荷を軽減させることにもつながる。

ただし、旅館にはそれぞれが培ってきた「やり方」が根付いている。私にいわせれば「善し悪し」ではなく、大部分は「悪し」としかいえない「やり方」が幅を効かせている。運営全体をとらえた「システム=仕組み」ではなく、個々の作業の「やり方」に終始しているからだ。経験が優先され、他者に口出しをさせない従事者の優位性を生み出し、セクショナリズムを形づくっている。例えば、食器の棚卸ひとつにしても、ベテランと呼ばれる一部の専管業務のように扱われ、非効率的な扱いがまかりとおっている(この辺りの詳細は拙著『赤字が消える?旅館が変る』上・下、観光経済新聞社刊を参照)。
そうした「やり方」は、どの部署にもある。私の提唱する構造改革は、ある意味でそれを白紙に戻して再構築する運営変更だ。もちろん、システムに組み込めるものがあれば、取り入れることもやぶさかではないのだが、多くは全体を俯瞰していないために、全社的な運営システムには馴染まない。それ故に、現場での反発や末梢的な作業での混乱が生じることもあり、再構築に時間を必要とするケースも少なくない。だが、再構築ができた時の多大な効果は、多くの導入事例が雄弁に物語っている。
さて、ここサゴーロイヤルホテルの場合は、前回も書いたようにTQM(総合的な品質管理)による「やり方」が定着していた。社員個々の創意工夫をボトムアップして運営に取り込む姿勢は、それ自体が否定されるものではない。だが、TQMは「売る側からの品質管理」なのだ。それだけを金科玉条のごとく運営の規範にしていると、往々にして旅館側の自己満足に陥る危険性がある。この自己満足は、作業者の意識にも大きく作用する。
私がスタート時の指導会議で配膳システムによる運営変更を説明した後、多くのセクション長は「これまで培ってきたものと変りはない」と受けとめた。その時、社長の小野晃司は、一瞬だが表情を改めた。私は、そこに「徹底的な運営変更」の決意を読み取った気がする。ボトムアップは続けるが、トップダウンともいえる運営変更は実現させるとの決意だ。


(つづく)

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