「旅館再創業」 その64
根底に周到なストラテジー

Press release
  2005.10.22/観光経済新聞

 私は、サゴーロイヤルホテルでの構造改革指導会議へ向う車中にいた。猛暑ともいえた夏場に比べると、車窓に見え隠れする浜名湖の湖面と周囲の緑が織りなす色合いにも、心なし落ち着きが戻っている。秋色に染まるのも、それほど遠くなさそうだ。おまけに今日は生憎の雨模様で気温も低い。〈もう10月なのだ〉との思いが唐突に浮かんだ。
目に映る景色は、季節の移ろいを教えてくれる。そのことは、観光に大きなメリハリを与えているが、一方ではシーズン波動の要因にもなっている。そして、私にとっては、ここでの構造改革に着手してから、相応の時間が経過していることを意味していた。
浜松駅からホテルまでは車で約30分、路線バスでも40分ほどの距離だ。これは新幹線を使った場合であり、東名高速道路だと浜松西ICから約15分で着く

交通至便といえば大袈裟だが、恵まれたアクセス環境にあることは確かだ。
そこに、サゴーロイヤルホテルの〈意思〉を、私はみている。観光事業ではアクセスが重要なファクターであり、その変化に一喜一憂する観光施設を数多くみてきた。とりわけ、旅館やドライブインは変化に対して受身の立場におかれている。装置産業であるが故の宿命といえる。そうした宿命と対峙しなければならない旅館業では、不動産業と料飲業を明確に区分したマネジメントが不可欠だ。構造改革の基本的な機軸もそこにある。
それはさておき、サゴーロイヤルホテルが、弁天島からこの地に移って35年ほどが経過している。その背景にあるのは、モータリゼーションの推移を見据えた周到なストラテジーだ。
日本中が高度成長に沸きかえり、戦後復興の象徴ともいえる東京オリンピックが開催されたのは、40年余も昔の64年のこと。この年に東海道新幹線が開業している。そして68年に東名高速道路が部分開通した。だが、浜名湖のある静岡―岡崎間の開通は、翌69年だった。そして全線開通のあと70年の大阪万博が開かれることになる。
そうした交通インフラ整備の流れを、サゴーロイヤルホテルは虎視眈々と捉えていた。舘山寺温泉に至便な「浜松西IC」のオープンは、全線開通から5年後の74年3月だったが、その前に、ホテルは現在地への移転を済ませ、大阪万博に端を発した日本の「大旅行ブーム」の波に乗った。
大阪万博は、3月から9月までの期間中に6400万人を超す入場者を数えている。雑学的にいえば、万博としての入場者数の記録はいまだ破られていないそうだ。これ以降の万博には、沖縄海洋博、つくば万博、大阪で開かれた花と緑の万博などがある。それから15年ぶりの万博として、この9月まで愛・地球博が開かれた。
いずれも観光旅行の目玉となり、旅行誘発に大きく寄与してきたことは、改めていうまでもない

ほかにも、ここ浜松では昨年の4月から10月まで、浜名湖花博が開かれ、期間中540万人余を集客している。
サゴーロイヤルホテルと博覧会の符合は、交通インフラの整備と同様に偶然の一致ではない。そこにはストラテジーが働いている。
いま、ポスト地球博への取り組みとして、構造改革を推進している。運営の仕組みを変えて新たな時代に対峙するためだ。


(つづく)

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