高山グリーンホテルが進める構造改革による第2期運営変更は、効率化によるコスト削減よりも、そこで生じた企業余力をサービスクオリティのアップに傾注している。商品価値が高まれば、結果として集客力の強化につながる。これは周知のことがらに違いないのだが、それを実行に移せる旅館・ホテルは少ない。
7月の現地会議を終えて帰福した私は、久々の本社業務に没頭していた。そんな時に、ふと脳裏を過ぎったのは、会議の合間に交した担当者との雑談の一コマだった。
今回の運営変更は、第1期の積み残しともいえる4部門が対象となっている。その1つである予約部門の担当者がいった。
「いい悪いは別にして、高山グリーンホテル流のやりかたで、私たちはやってきている」と。
確かに、業務を遂行する上での方法は多種多様であって、それをいい悪いと一概に片付けることは難しい。経験と勘の求められる処理の仕方は、ときに必要なこともある。とりわけ予約業務で〈読み〉を立てるときなどは、データ一辺倒ではなく積み重ねてきた経験が判断材料として欠かせない。それが、各施設の〈自館流〉となっている。自館の実情から培われたものであり、実態に即したものといえなくもない。
だが、一般論として捉えるならば、そこには陥りやすい2つの危険性がある。その1つは、自館流に固執することで、変化する状況への対応が難しくなることだ。そうなると適正な経営判断が阻害されてしまう。一般に〈ニーズ〉と呼ばれる消費者の志向は、絶えず変化をしている。時代によって変化したものは、過去の経験測だけで対処できない側面をもっている。
もう1つは、自館流に自信をもつことで、他の発想を寄せ付けないバリアを、知らず知らずにつくってしまうこと。経験と勘がコレステロールとなって企業内の情報の流れを妨げてしまい、企業が動脈硬化を起こしてしまう。
端的にいえるのは、企業内に生じるセクショナリズムだ。いわゆる囲い込み現象が生じ、簡単に処理できる業務であっても、他部門からは見えないように複雑化が進む。そこには、仕事に対する「価値」を、作業者レベルで形づくろうとする心理が作用している。企業が社員を適正に評価していない場合の〈反面教師〉だと、私は思っている。
構造改革による運営変更は、そうして複雑化した業務内容を解析し、スリム化させる意味あいもある。ただし、ここ高山グリーンホテルでは、そうした危険性が顕在化するレベルに至っているわけではない。余力を商品力の強化へ傾注できるのと同様に、顕在化する前に手を打っておく予防的な印象をもっている。
予約業務での〈読み〉は難しい。天候やアクセス事情など多様な要素に、絶えず左右されている。そうした予測の難しさを例えるとき、しばしば引き合いにだされるのが経営破綻した大手スーパーの話がある。仕入をコンピュータ化し過ぎた結果、商売の基本ともいえる「商人感覚」がおざなりにされた。天候の読み、地域の特異性を度外視するなど、経験や勘が顧みられなかったという。もちろん、それが全ての要因ではないが、そこにコンピュータ化の難しさがある。
構造改革の視点からこの一例を捉えると、業務解析の不在がみてとれる。基本業務の実態を正確に把握することで、そこに潜むムリ・ムラ・ムダが洗い出される。それを解消することでコストの削減につながるわけだが、肝心なことは、ここ高山グリーンホテルが取組んでいるように、本来の業務のクオリティを上げることにある。
したがって、予約業務でのシステム化は、お客さまとの接点まで無機質化を図ろうとする乱暴な仕組みではない。バックの事務処理などで効率化を図り、その余力を本来の業務に集中させることにある。
担当者が〈高山グリーンホテル流〉という一方で、誰もが同質の〈読み〉ができる新しい形を模索する姿勢も窺える。言葉の背後にナレッジマネジメント(知識管理)の発想を垣間見た思いだ。これは1年後への期待につながる。
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