旅館における食中毒事故は、規制指導ともいうべき保健所の監視下で、多くの場合「末端網掛け方式」の処分を受ける。厨房衛生管理マニュアルを備えて細心の注意を払っても、納入時の食材がすでに汚染されていれば、どんなに注意を払っても事故につながる危険性はなくならない。
この両者のからみは、私にいわせれば理不尽なのだが、それを云々したところで詮無い話でしかない。そして、一度事故が起きて処分を受けると、営業停止による損失や被害者への補償などの直接的な損害、あるいは信用回復へ向けた余分な支出や労力、そして経営者の心労は計り知れない。
いま書き綴っている一昨年の花巻南温泉峡・ホテル志戸平での食中毒嫌疑は、旅館側の日頃の衛生管理を反映して「限りなく白」の形を実証し、コト無きに終わった。だが、保健所指導の理不尽さが消えたわけではない。〈何とかならないものなのかな…〉そんな思いに駆られた時、身体に大きなGがかかった。飛行機が離陸を開始したのだ。
私は、EUへの視察旅行に出るところだった。搭乗してから滑走路までのタキシング間に、ふと思ったのは頻発する航空会社のトラブルだった。経費削減へのアウトソーシングは必要だが、問題は何を外注するかだ。私流にいえば、地方大会レベルの作業は、アウトソーシングでもパート作業でも可能だが、全国大会レベルでは自らの監督が欠かせない。運輸機関における安全確認は、いわば最優先の基幹業務に類する全国大会レベルであり、事故のたびに全機を再チェックする費用とアウトソーシングによる節減効果に疑問を感じざるを得ない。それと同じことが、旅館での食の安全にもいえる。
要は、規制指導に対する理不尽を感じながらも、相応の対応をしなければならない。そのバランス感覚が大切だ。幸いなことに、ホテル志戸平社長の久保田浩基は、白黒をはっきり指摘する個性の強さと同時にバランス感覚に秀でていた。そこまで思い至った時に搭乗機が浮いた。
水平飛行に移り、ベルトサインが消えた。私にとって、ここからは2つの選択肢しかない。1つは睡眠モードに入ること。もう1つは、じっくり思索に耽ること。今日は、後者を選んだ。テイクオフで中断した志戸平での顛末を思い起こしていたからだ。
志戸平では、食中毒嫌疑による一連の騒動の後、「ホテル志戸平検査会」が発足した。記憶が正しければ、11月下旬の嫌疑から2カ月と経過しない1月13日のことだった。どこかに正月気分の残滓が漂う半面、集まった食品納入業者の幹部には、一種の緊張感のようなものも感じられた。
確かに、その気持ちはわからないでもない。納入業者にしてみれば、決められた衛生管理をそれぞれが行っているはずだ。〈その上に何で〉と、疑問もあったに違いない。おまけに、検査は〈タダではない〉のだ。相応の費用負担も行わなければならない。そんな面々を前に、私は食品衛生の重要性と検査会の意義を語った。
もちろん、慎重派の専務・八重樫勝司が事前に周到な根回しをしていたことは想像に難くない。検査会発足へ向けた協議はスムースに運んだ。話をはしょれば、この日から1カ月半足らずで検査会の活動がスタートしたことも、それを立証している。
ここに、旅館での画期的な検査体制が誕生した。そして内部の衛生管理は、これと並行した配膳システムの導入で、従来にも増して高次化していった。私は、ビジネスだけではない満足感を味わった。
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