「旅館再創業」 その44
疑惑でNYから花巻へ直行
Press release
  2005.05.28/観光経済新聞

 03年11月25日、ニューヨーク。数日間の視察も終わりに近づき、スケジュール帳には幾つかの訪問予定が残っているものの、1〜2時間の空白時間も目につくようになった。〈付近の散策でも〉と、気持ちの余裕も生まれていたのだが、初冬にもかかわらずホテルから屋外へ一歩出ると、厳しい寒さが身にしみる。その思いは、何度訪れても変らない。〈散策より、まず集めた資料の整理だな〉と口実をみつけ、私は部屋に引きこもった。
今回のツアーは、厚生労働省など公の機関が主催する食品衛生の視察ではなく、ホテル事情を含めてあくまでも個人的な情報収集だった。
そんな折、唐突な知らせが届いた。ホテル志戸平で食中毒の発生を懸念するものだった。自主検査センターの担当・柏原吉春は、「昨晩(日本時間・25日)ご宿泊中のお客さま225人中、団体(15〜16人)のお客さまが夜中に腹痛を訴えられ、うち2人が朝、病院へ行かれたそうです。病院側から食中毒ではないかと連絡があったため、昨夜の夕食を調べてほしいとのこと。お客さまはすでに快復され、お客さまから保健所の方へ連絡をすることはないようです。また、病院へはホテル側から受診を勧められたとのことでした」と経過を伝えてきた。

さらに、自主検査センターとしては「至急、検体を送っていただき、検査をすることにしました」と規定どおりの対応をすでに講じていた。24時間対応でコトにあたる自主検査センターの機能は、間違いなく稼動していた。
その報告を受けた私は、ホテル志戸平の厨房を思い描いた。衛生管理面では一定のレベルに達している。懸念があるとすれば〈あれだな〉と思われる節もあったが、報告内容を聞く限り原因は他にあると感じた。軽々に断は下せないが、数多くの経験から大きな問題に発展する危険性は低いように感じられた。しかし、そうした疑惑が生じたときの旅館経営者や幹部の心情は、痛いほどわかる。私は受話器を手にした。
ホテル志戸平への電話では、不安を最小限にとどめる一方で、安易な対処をしないよう言葉を慎重に選びながら善後策を話した。だが、受話器からは、切迫感が伝わってく。「一刻も早く来て欲しい」との要請を受けて電話を切った。
私は、当初のスケジュールから幾つかの調査対象をはずしたものの、ほぼ予定どおりの成果を得て帰国を急いだ。いつものパターンならば一旦は福岡の本社へ戻り、資料整理や予定表を確認してから次の行動に移るのだが、今回は「例外」と決めた。
帰国した私は飛行機を乗り継いで、花巻空港へ降り立った。その間、自主検査センターから緊急検査仮判定の報告を受け、状況はおおよそ把握していた。第一報で抱いた「危険性は低いだろう」との思いは、当初よりも膨らんでいる。ただし、俗にいう「勘」といったものではないし、ましてお客さまが保健所に連絡しないとか、ホテル側が受診を勧めたという情状でもない。発生時の状況報告そのものに含まれる幾つかの内容だった。これは、自ら理数系を標榜する私独特のものであって、論拠の説明は難しい。
そうしたことを考えているうちにホテル志戸平へ到着した。〈寒いニューヨークから寒い花巻か〉と、そんなフレーズが唐突に浮かんだ。しかし、専務の八重樫勝司の顔を見たとたんに、私も細菌の専門家の顔に戻っていた。

(つづく)

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