厨房での衛生管理マニュアルは、それが規定どおりに遵守されていれば、食中毒発生のリスクが〈軽減〉できることは否定しない。ただし、ホテル志戸平の社長・久保田浩基が指摘するように、「決してゼロにはならない」のも事実だ。上手の手から水が漏れるという不可抗力よりも、世の中に「絶対」などあり得ないと考えた方がいい。
ここホテル志戸平で2年半前に食中毒の嫌疑がかけられたとき、自社の衛生管理マニュアルによる運営経験は積んでいたし、半年ほどではあるが自主検査センターの定期的な衛生管理指導と点数による判定もうけていた。それでも嫌疑に対しては、頭から「わが社は潔白だ」といいきれない一抹の不安が経営陣に過ぎったことも、当時を振り返ると想像に難しくない。
もちろん、緊急検査の結果は「白」であり、ここでの衛生管理が一定のレベルに達していることは立証された。ただ、私としてはホテル志戸平の実情に、不安要因があることを内心で危惧し続けていた。
というのも、調理長の鈴木光雄をはじめ調理場のスタッフは、マニュアルに基づく衛生管理思想に徹する努力と、実際の運用に努めているのだが、それを支援するツール、いわゆる設備・器具と料理サービス提供にかかわる運用ソフトの未整備が見受けられたからだ。しかし、これには新たな投資が伴う。
私は、構造改革の基幹ツールである「配膳システム」のプレゼンテーションを何度となく思い立った。だが、6年前の最初のプレゼンテーションで受けた苦い轍を繰り返したくはなかった。
構造改革は、旅館再生において究極の課題の一つといえる「コスト削減」を実現させるシステムだが、それとは別に、根底に流れる思想として衛生管理の機能がある。それが「配膳システム」なのだ。提供する料理の衛生管理をするためには、作業の流れ=プロセスを解析する必要がある。厨房・輸送・配膳、そして洗浄・保管に至る一連の作業に潜む「ムリ・ムラ・ムダ」と適正なツールの未整備が食中毒を引き起こす。逆に、ムリ・ムラ・ムダが是正できれば、運用に欠かせない冷・温蔵庫などの設備やコンテナをはじめとする用具類に投資をしても、結果として経費ウエートの大きな人件費削減の効果がそれを上回る。それが、経営全般のコスト改善にかかわってくる。
コストの削減面だけを捉えると、ここホテル志戸平では、性急に構造改革を行う必要性は薄い。というよりも、久保田流の経営ノウハウは、ある意味で構造改革の手法と通じるものがある。屋上屋を重ねても顕著な効果を導き出せないかも知れなかった。
しかし、コストの削減効果ではなく、底流にある衛生管理の視点からホテル志戸平へ再度のプレゼンテーションが考えられないわけではなかった。だが、食中毒の嫌疑がけられた時点での提案を、私は潔しとしなかった。むしろ、無事故の状態が長く続いたあとで、真っ向から衛生管理の「さらなる向上」としてプレゼンテーションしたかった。それは、衛生管理思想が高度化し、現状を満足できなくなった時点ともいえる。
私には期待感があった。
自社マニュアルを作って食の安全を目指す久保田流経営ならば、早晩〈配膳システムのような管理システムが求められるだろう〉と。だが、思わぬ事態は、唐突に訪れた。
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