「旅館再創業」 その41
食中毒防止の「HOW」模索
Press release
  2005.05.07/観光経済新聞

 ホテル志戸平で行った構造改革の1回目のプレゼンテーションは、期待に反して不調に終わった。だが、それによって縁が切れたわけでもなかった。社長の久保田浩基に何か惹かれるものを感じた私は、その後も旅連などの会合で顔をあわすと挨拶を交し、こもごもの話題で会話する関係の保持に努めた。
そして3年ほどが経過した頃に、新たなビジネス接点が生まれた。その年は、わが社自体がカンパニー制による再編で、事業内容の見直しと明確化を図った時期でもあった。現行の会社形態であるIICコーポレートのもとで、構造改革に特化した企画設計、細菌検査を行う自主検査センター、それに旅館のアライアンスを推進するプラスワンクラブのカンパニー化を完成させていた。
ホテル志戸平とのビジネス関係は、その中の自主検査センター・カンパニーとの間で結ばれた。
この自主検査センターについては、当社の事業活動をご理解していただく上で若干の経緯を語らなければならない。実は、現在提唱している構造改革の発想そのものが、自主検査センターの業務と大きく関っている。というのも私は、大学を卒業した後、一時は食品製造会社に勤務したが、そこでの経験と大学で学んだ知識を生かすための起業を模索した。その結果、地元の福岡県で中小食品企業の共同検査室として「自主検査センター」を発足させることになった。20余年も前のことだ。そして20年前に、専門分野である細菌検査を根底に据えた旅館ホテルの衛生管理システムを開発し、この業界との接点をもつことになった。
当初の自主検査センターは、「食品衛生検査指針」に基づく食中毒菌などの細菌検査を主に行って原因の解明に努めていた。だが、解明するだけでは食中毒を未然に防ぐことは難しい。いま思えば、幸か不幸かわからないが、生来の探求心が疑問符となって頭をもたげてきたのだ。
否、検査技師の領分ではそこまでしか携われない。私は、自問自答を繰り返し、悶々とした日々を過ごした。だが、そうした苦悩は決して長い期間ではなかった。理系の発想で逆算をすればいいだけだった。
逆算の答えは明快だった。検査は、どこまで行っても「WHAT」への答えでしかない。「何の菌が食中毒を引き起こしたか」を特定するのに留まる。防ぐためには「HOW」がなければならない。それには、菌の特定だけでなく感染源へ遡るトレーサビリティと同時に、加工や調理のプロセスも検証しなければ「食中毒をどうやって防ぐか」には至らない。
その「HOW」を模索することで、苦悶のスパイラルは一気に逆走をはじめ、「食中毒菌の解明」という本来の業務と、「食中毒の防止」へ向けた実務が並走することになった。私の「実務コンサル」の原点が確立したともいえる。
いい換えれば、「細菌検査」といった技師の領分を越えて、「衛生管理指導」という食中毒防止への直接的な関与ができる業務分野を拓いたわけだ。そうした発想は「HACCP=危害分析重要管理点=プログラムシステム」へ発展する一方で、大手旅行業者の協定旅館連盟が推進する「食中毒110番制度」を支える実践部隊へと活動範囲を広げていった。
こうして事業分野を確立してきた自主検査センター・カンパニーではあったが、目に見えない細菌が相手の仕事だけに、「食中毒は怖いが目に見えないものへ金を払うなど……」という感じが業界には根強かった。というよりも、現在でも〈多分に残っている〉というのが、私の正直な感想といえる。
ここ、ホテル志戸平で目に見えない「菌」へのコスト負担が、すんなり受容れられたのか侃々諤々の社内議論の末だったのか、それは私にはわからない。ただ、3年前から社内の仕組みとして明確に取組んでいることは確かだ。
しかし、食中毒防止に直結する「HOW」は、検査体制や衛生管理指導だけでは完了しない。具体的なシステム構築によって、最終的なリスクマネジメントになり得るのだ。(続く)
(企画設計・松本正憲=文中敬称略)


(つづく)

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