花巻南温泉峡・湯の杜「ホテル志戸平」を初めて訪ねたとき、大幅な改装を終えて2年ほど経過しているとの話を聞いたような気がする。その辺りの期日は曖昧だが、自分の目で確かめて感じたことだけは、今でもしっかりと覚えている。その一つにロビーでの第一印象がある。
当時、バブル経済崩壊後の価格破壊が、観光業界だけでなくあらゆる経済活動にみられた。そうした中で「低価格化」や「廉価志向」であるにもかかわらず、宣伝文句では「リーズナブル料金」の文字が氾濫していた。
言葉尻だけを云々するつもりはないが、リーズナブル料金とは「相応な価格」といった意味であり、「安値」の同義語ではない。辞書で「リーズナブル」を引けば、語意の筆頭に「理にかなっている」と書かれていることは、皆さんご承知のとおり。
その頃、旅行好きの知人が、いみじくもいった。
「いままで1泊2食の宿代が3万円、4万円だった旅館が、1万円台で叩き売ってる。前の料金はいったい何だったのだ」と。
この話は一例に過ぎないが、私自身も同じような感慨を当時はもっていた。ただし、一般の消費者と違うのは、旅館の経営実態を知る立場の人間として、旅館にしてみれば決して「相応な価格などではない」ということだ。「構造改革」によるコスト削減を声高に提唱していたのも、そうした実態を知るがゆえだった。
話をロビーでの第一印象に戻そう。そこで目にした吹き抜きのロビー空間は、バブル期の華やいだ雰囲気を十二分に醸し出していた。当時の経済状況では、悪化は容易に想定できても、好転の兆しは寸毫もなかった。私は内心、「構造改革のやりがいがありそうだ」と思った。しかし、その思いは時間の経過とともに薄らぐのを止められなかった。〈何か違う〉と心の片隅にさざ波が立ち始めていたのだ。
原因はいくつもあったはずだが、端的に思い出されるのは「フロント周りの陣容」というか、佇まいだった。これだけ華やいだロビーの作りであれば、当然ながら和服の接待係が目にとまって然るべきはずだ。ところが、それが見当たらない。すっきりとしたジャケットのフロント係がいるだけで、見事なまでに簡素化されていた。仕事柄、海外の名門ホテルも数多く泊ってきたが、それらのホテルが醸し出しているホスピタリティに、どこか似たものを予感させた。
それは、館内を一巡した時点で〈確信〉に近いものになっていた。パブリック部門のグレードは高いものだったが、客室仕様や接待係の配置は、バブル期の旅館に共通してみられた濃厚な接客ではなく、お客さまが寛いで自由に楽しめるスタイルを模索しているようにうけとめられた。私流にいえば、「ライトな雰囲気で、相応のグレードを漂わせている」ということだ。
それは、まさに「リーズナブル」の原点ともいえる発想だ。私はそこに、経営者・久保田浩基の経営スタンスをみた。
その当時の私は、自ら提唱する旅館の構造改革にこだわり過ぎていたのかも知れない。これだけのハードを維持するには、構造改革の手法が不可欠との思いから、予定どおりのプレゼンテーションをした。だが、提案はものの見事に却下されたのだ。
(続く)
(企画設計・松本正憲=文中敬称略)
|