私が花巻南温泉峡・湯の杜「ホテル志戸平」を初めて訪ねたのは、かれこれ6年ほど前の話だ。企画設計としての営業活動も軌道に乗り、知己となったある旅館のオーナーから紹介を受けてのことだった。私は、この原稿を書くために当時の記憶をまさぐった。
それは、訪問する何日か前――本社にある自室でのできごとだった。当時、おおよその位置関係は知っていたが、立地環境などを事前に把握するために地図を広げてみた。普通は観光ガイドブックなどを見るのだろうが、修飾された他人の文章を読むよりも、無機質な地形データや数値から自分なりに判断するのが、私の性には合っていた。事前知識とは、データであって先入観ではない。
そんな折だった。学生時代の記憶が、ふと蘇ってきたのを覚えている。といって、それは花巻周辺のことではない。広げた「地図」が、〈5万分の1〉を手に山歩きをしていた青春時代を彷彿とさせたのだった。だが、習い性とは怖いもので、地図を開いた目的などすっかり忘れてしまい、周辺の山々ばかりに目が行ってしまった。
県内の最高峰・岩手山が「南部片富士」と呼ばれていた記憶が、ぼんやりとだが脳裏に浮かんできた。学生時代に登ろうとして調べたのかもしれない。早池峰山の文字も目に付いた。そうこうしながらも気を取り直し、花巻空港を探した。空港の所在地は、すぐに見つかった。空港から志戸平へのルートを探すのも、大した困難ではなかった。
こうしたマップ上の仮想ルートと実走したときの道路ギャップは、往々にしてある。立地条件などを判断する時、何事も鵜呑みにしないことが肝心だ。バーチャルとリアルの両者を知ることで、物事の実相は身近になる。これは日々の仕事にも共通する。そんな思いでホテル志戸平へのルートを確認した記憶がある。
もう一つ思い出したことがある。岩手について宮沢賢治は「イーハトーブ」と呼んでいたことだ。『銀河鉄道の夜』や『注文の多い料理店』などの著作は、理系の私でも幼いころに読んだ覚えがある。それはともかく、宮沢賢治が「イーハトーブ=理想郷」と表現した岩手と、山塊の連なる地形図が妙にオーバーラップしたことだ。いわば、私が歩いた山々のイメージとこれから訪ねる志戸平温泉が、「理想郷」のデジャビューを形づくっていたようだ。それは「山間に湧き出す温泉と快適な旅館」という構図でもあった。
ついでに記すと、地図上に「イギリス海岸」という地名をみつけて「なぜ、こんな岩手の内陸に外国の海岸なのだろう」と不思議に思った。その疑問は、未だに解けていない。「忙しさにかまけていた」といえばそれまでだし、地図上ではみつけたものの未だに行ってもいない。
さて、長い前置きになってしまったが、そうした青春の思い出やら地図を読み込んだ私は、それから数日後に福岡を発ち、羽田経由で花巻を訪ねた。
いま思うことは、ホテル志戸平の印象を語るときに、その時の思索が多分に働いているということだ。とりわけ「理想郷」の3文字が、私の気持ちのどこかにこびりついているような気がしてならない。加えて、経営者・久保田浩基の第一印象が脳裏にある。それは、いい意味で「ものごとをはっきりという人」という強烈なイメージだ。決して世辞ではないが「東北の好漢」だと思う。
これも私の一人合点なのだが、巷間知られる「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」といった宮沢賢治の一節は、東北人の気質を表したものだと思っている。身辺に降りかかるものを無批判に受容れれたり、あるいは単に耐えるのではなく、背景に「白黒をはっきりさせたうえで」といった納得ずくの芯の強さを感じる。それを久保田浩基にみた。
そんな思いで面談した初回は、当然ながら「納得」には遠いものだったのだろう。ビジネス成果は、残念ながらなかった。しかし、私自身の中では、構造改革の基幹である「配膳システム」をいかに「納得させていくか」という信念めいた決意を改めて得ることができた。 (続く)
(企画設計・松本正憲=文中敬称略)
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