これまで私は、よほどのことがあっても音を上げたことはないつもりだ。ところが今回の出張は〈まったく、もう…〉と、つい愚痴ってしまう。自然の前で人間は、やはり無力だと思い知らされた感じだ。そんなことを考えていると、いつもの癖で思考の連想ゲームが始まってしまう。
自然のメカニズムや法則は、未だに解明されていない。人間が作り出したものではないからだ。では、人間がつくったシステムやルールはどうだろう。そんな連想が浮かんだのは、やはり先刻までの定期会議の余韻でもあった。
会議では、幾つかの問題点が報告された。その一つは、システム運営によって決められた仕組みが、現場の都合で勝手に変更されてしまうことだ。例えば「汁取り」の仕組みもそうだった。味噌汁や天汁などの「汁類」を運ぶために、以前は接待係が厨房と宴会場を往復していた。
そうした作業を喩えるならば、1品ごとにチャーター便を飛ばしているような非効率にほかならない。厨房を「発地」、お客様の接待場所を「着地」、両者をつなぐ「輸送」といった形をイメージしたとき、これまでは、着地の接待係が自分でカラの輸送機を操縦して発地に出向き、発地にある荷物を選別して一品を選び出し、再び着地に戻る。そうした作業の後に、「本来の着地業務」がやっと始まる状況といえた。
そこで「発地・輸送・着地」の業務区分を明確にして、接待係の輸送業務を廃止した。また、宴会場の備品準備なども外した。これは、作業負担の軽減が本旨ではない。接客作業に集中しようとしたとき、バックヤードともいえる業務は、身動きを制約する人質のような存在になってしまう。いわば、接待の密度を濃くする施策にほかならない。
接待係は、お客様の移動と連動すのが理想だと私は思っている。準備や輸送はバック部門に任せ、まず玄関で出迎え、その後も接待業務に専念する。そうした接待の結果は、お客様アンケートの評価アップとして結果が出始めている。
だが、一方で逆行も密かに進行していた。輸送後に、それを「装る」ところまでしてもらえば接待係には都合がいい。また運ぶ方にも「ついでだから」の感覚がある。結果は、業務区分を崩してしまう。これが形骸化の第一歩なのだ。放置すればコストを再び増加させてしまう。
同様のことが飲材補充にも起きていた。順当な補充フローに従って業務が行われていれば、仮に5時間で済むと想定できるものが、実際には倍の時間がかかっていたという。
私は、その報告を聞いたときに、思わず〈なぜ〉と出かかった言葉を飲み込んだ。とっさに〈やはり〉の言葉が浮かんできたのだ。
実態を聴聞すると、原因は〈やはり〉のとおりだった。運営システムに反する変更が、現場レベルで行われていた。システムに則せば、在庫数量の確認は宴会部の役割なのだが、いつの間にか飲材補充の担当者に数のチェックまで任せていた。そうなると、数を数えてから補充へ行くために、延べ作業時間が「倍かかる」という当然の現象を生み出してしまった。
こうした現象は、担当者の力量に左右される。これは、仕事の処理能力ではない。仕事に対する取組み姿勢であり、理解度といってもいい。それが欠けるとルールはなし崩しに壊れ、形骸化してしまう。やはり、トータルな改善が必要になってきた。
(企画設計・松本正憲)
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