調理長人事が一段落し、接客部門でも新しい形がスタートした。館内運営の変更は、スケジュールどおりとはいかないものの、ほぼ完了した。当初に目論んでいたコストの削減も順調に進んでいる。私が清風園に足を運ぶ回数も、夏以降は減ってきた。
ロビーの片隅に腰をおろし、視線はフロントまわりからラウンジ、売店へと導線に沿って見慣れた光景を追っていた。フロントやラウンジスタッフのきびきびした動きは、見ていて小気味がいい。
視線はテーブル上の灰皿に戻った。右手の指に挟んだタバコの灰を落とし、かすかに昇る紫煙を追いながら、改めてロビーを見やった。平日だが午後4時を少し回って、お客様が到着をしはじめている。いつもの賑わいタイムが訪れた。
だが、何かが違う。私はタバコを灰皿でもみ消し、新しい1本を取り出した。「何が違うのだろ」とつぶやいてから、タバコをくわえて火をつけた。一服目を吸って吐き出すまでの僅かな間に、違和感の原因も吐き出されてきた。
お客様がロビーにたむろし始めたのだが、その賑わいは、初めて訪れたころと変らないのだ。運営変更によって館内スタッフの意気込みが変り、日々の作業動作など目に見える形にも表れてきた。それに比べるとロビーの賑わいには、目立った変化がない。
予想はしていた。だが、実際に目の当たりにすると「もっと早く手を打っておくべきだった」と慙悔の思いがつのる。
営業部での会議が蘇ってきた。一言で言えば、売上が落ちているのだ。それが夕刻のロビーの佇まいに表れていた。
運営変更のプロセスを振り返ったとき、人事に関しては各部門長の責任を明確化した。しかし、スキルの見極めがすべてできたわけではない。責任をもって仕事にあたる意識を根付かせながら、その間に能力分析を並行させる手法をとっていた。これは営業についても同様だった。
ただ、営業に関しては、責任と同時に、これまでいい訳に使われてきたハザードを一部で取り外した。例えば、営業で新しい企画を打ち出した場合、厨房や接待部門で「それには対応できない」といった反応の出ることがある。営業企画が生かされない。これは清風園に限ったことではない。
結果として、販売促進につながる企画を打ち出しても、「受け入れる現場が対応してくれない。だから折衷案のような企画しか展開できず、営業実績が伸びない」といった口実に使われてしまう。
営業部は、お客様に一番近いところにいる。そこでの企画は、お客様の声を反映させる意味で、戦術の根幹をなしている。そうした観点から、1つの試みを行ってきた。責任をもって仕事にあたるために、企画に関しては営業主導の体系化を組んだ。いわば責任に対する権限を付与したともいえる。
それだけではない。企画推進の手法もいくつか提示してきた。例えば、不動産業に徹して空室を売る「特割」もその1つだった。その特割に対して、会議でこんな質問が出た。
「これまで8千円以下では絶対に売ってはいけないといわれてきた。今回の特割では、それ以下で売ることになってしまう。売る側の矛盾だけでなく、お客様に安売りはしないといってきたことが、嘘をついてきたようで納得できない」
この質問は、営業の嘱託社員から出たものだった。これまでの会社方針と特割の違いを、真剣に考えて疑問を訴えたわけだ。逆にいえば、空室を売るシミュレーションが、他の社員にはなされていなかったことを暗に物語っている。
一事が万事といわないまでも、各人が「企画→販売→評価」といったプロセスに無頓着すぎる。館内の仕事はチームプレーだが、営業が一度セールスに出れば、そこから先は個人技の世界だ。個人技は、スキルに左右される。
営業成績の上がらない現状を放置すれば、館内スタッフが削減に努めている経費も、プロフィットとしての企業貢献が薄らいでしまう。営業のスキルアップが今後の課題として大きくのしかかってきた。
(企画設計・松本正憲)
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