「旅館再創業」 その8
構造改革は〈逢魔が時〉か
Press release
  2004.07.24/観光経済新聞

 その日、私は午後の3時を過ぎたころ清風園を後にした。目指すは飛騨高山温泉の「高山グリーンホテル」だった。このホテルも昨年秋に構造改革の打診があり、今春4月からローコストオペレーションの運用に取組んでいる。
千曲川沿いに進路をとったレンタカーのカーナビは、諏訪湖畔を経て安房トンネルを通過する最短ルートを示していた。戸倉上山田温泉から約1時間。車窓には真っ青な諏訪湖が広がっている。この春、7年に一度の御柱祭りで賑わった喧騒も去り、湖面は静かに波打っているだけだ。湖畔での用件を済ませたあと5時過ぎには諏訪を発った。傾きかけた陽光が湖面に銀紗を散りばめている。男神と女神の伝説にふさわしい神々しさだと思う。
やがて車のシートがゆるやかな勾配を感じさせる。日が翳りはじめたのか、それとも周囲の山が深くなったせいなのか、煙草の煙を抜くために開ける窓から流れ込む空気が、その度ごとに冷たくなってきた。車は安房トンネルへとひた走っているのだ。
かつて、長野県と岐阜県の県境には安房峠が立ちはだかり、11月中旬から5月上旬までの降雪期だけでなく、降雨でもしばしば通行止めになったと聞いている。いま、国道158号の安房峠は、平成9年12月に北アルプスを貫く安房トンネルの開通で様相が一変した。「交通の難所」から信州と飛騨を直結する「快適なドライブコース」へと変貌したのだ。それだけではない。観光ルートの様相も大きく様変わりした。
名古屋から下呂温泉を経て高山へ入り、さらにその奥の平湯温泉などへ向っていたものが、いまは〈トンネルを抜けると平湯だった〉と、シャレでは済まされないほどに変ってきた。拠点として賑わっていた地域には少なからぬ影響が出ているはずだ。これは岐阜側だけの話ではない。より奥地へ、より快適に、人間がそんな心情をもっている以上、さまざまな地域に影響をもたらしている、と考えるのが妥当だろう。
先ほどまで左手に見えていた梓湖や梓川が消え、山道は勾配を増している。カーナビの九十九折になった路面図の上に、それを無視する直線が見え始めた。安房トンネルが近づいてきた。考えてみれば、この道は何度か通っているものの、自分で運転するのは初めてだった。私は、ステアリングを握り直し、気分を変えて運転に集中した。
全長4キロ余のトンネルを通過するのは、わずかな時間だった。安房トンネルを過ぎると、すぐに短い湯ノ平トンネルがあり、あと高山へ入るまではほぼ道なりだ。陽はすでに落ちていた。夕暮れの薄闇がたち始めたこんな時刻を、昔の人は〈逢魔が時〉といった。確かに、後方へ走り去る家や電柱、背後に黒くうずくまる山々など、どれ一つとして実在しないものはない。だが、一つひとつの輪郭は妙にとらえ難いのだ。
その思いは、高山グリーンホテルのこれから会う人物を、唐突に想起させた。本人がとらえ難いという意味ではない。いま進めている「構造改革」は、これまでの経験論を主体に考えると、逢魔が時の景色のように輪郭がぼやけてみえているのではないか。〈その思い〉からだった。
構造改革は、ガラガラポンのリセットではない。現在あるものを再検証し、必要に応じて組みかえる部分も多分に含んでいる。ただ、組みかえるときに発想を180度システマチックに転換させる必要も、少なからずある。おまけに総論は掴みずらいのだが、各論に落とし込んで近づいたとき、個々の事象は知りすぎるぐらい熟知し、熟達している。そうした永年培ってきた自分たちのやりやすい方法を、なぜ変えなければならないのか。その辺りで壁にぶつかる。これまでに何度となくそうした現場の声を聞いた。
これは、ある種の錯覚にほかならない。錯覚とは、「自分の役目は、きちんとこなしている」との想いが生み出している。〈猟師山を見ず〉ではなく、会社全体の大きな山を見ながら自分の勤めを果たす。これが肝心なことだ。
車は高山市内へ入ろうとしていた。私は思考を中断させた。
(企画設計・松本正憲)

(つづく)

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