「旅館再創業」 その7
顧客第一から真のCSへ
Press release
  2004.07/17/観光経済新聞

運営変更へ向けた清風園での会議に次ぐ会議のあと、実務を清風園幹部とわが社のインストラクターに任せ、私はこの現場を離れていた。その間、平凡ないい方だが仕事は〈山ほど〉あり、本社で椅子を温めている時間など、およそなかった。中国の古書・淮南子(えなんじ)の一節にある「墨子無煖席」がふと浮かんだ。墨子ほどの賢者に比肩する不遜な気は毛頭ないが、同じ場所に留まっていない行動力なら負けないつもりだった。
そうした中、何日ぶりかで訪れた清風園のロビーは、夕刻の入れ込み時と重なって今日も混み合っている。見慣れた「無事」のハッピが忙しく立ち回っている。ロビーラウンジ越しに望む内庭には、薄い夜の帳が降りはじめていた。私は、紫煙を燻らせながらこれまでの経過を反芻した。
計画の全体案は示した。これから運営コストの削減と売上高の健全化を並行して進める。モノの動きだけでなく、人事考課を含めた人の動き・意識の動きの改革であり、これらがスタートラインに立ったことを意味している。そして、安定売上への方策にも着手した。どれも結果が出るのは先のことだが、遅くてもこの夏場から秋口へかけたころには、第一ステップとしての成果は刈り取れると思っている。確かな手ごたえを裏付けるひとつが、メーンバンクの反応だった。担当者がいう。
「いま清風園でやろうとしていのは、時代に合った経営に変えようとしていることだ。私は今回の計画が成功すると思っている」
それは、単なる希望的観測ではない。理由も明快だった。「日本古来のお客様第一主義から脱皮しようとしている」と担当者は指摘した。これは、今回の計画の裏面に流れるイズムでもある。さすがに銀行マンらしい〈慧眼〉だと思う。
かつてバブル経済が絶頂を極めようとしていた頃、大企業からはじまったCS発想(顧客満足)が、旅館業界にも広く伝播してきた。それは「CS=お客様第一主義」と受けとめられていた。その捉え方は決して間違いといえない。だが、そこにプロフィットの概念は希薄だった。利益に対する意識が乏しくとも、バブル経済にはそれを包含する力があったのだろう。お客さま一点張りでサービスや設備投資が多少過剰になっても吸収できていた。
そのアダ花は、バブル経済が崩壊したあとも、亡霊の如く旅館業界を徘徊し、いまも悩ませている。最たるものは、旅行業者から押し付けられる際限のない安値要求だ。「値段は下げろ、サービスは下げるな」の言葉は、言下に「利益を度外視せよ」といっているのに等しい。これでは、経営は成り立たない。バブルに浮かれてプロフィットを軽視した当時のツケともいえる。どんな経済状況下でも適正なプロフィットを忘れてはならない。
利益は、会社や株主だけのものではない。CSと対をなすES(従業員満足)につながる。当時、ESの「E]がエンプロイー(雇用者)ではなくエンプロイヤー(雇用主)だという陰口があった。私は、首を振ってその思いを払った。多忙なくせに、つい、余計なことにまで思いを馳せてしまう悪癖だ。自分ではわかっていても、何とも御しがたい。
銀行マンは今回の計画を「従来の顧客第一主義から本来のCSに転換するシステムを導入しようとしている」とも評した。といって何か新たな設備やサービスですべてを一新してしまおうというものでもない。〈今あるもので勝負しよう〉というのが基本だ。
副社長の飯島寿一がいった。「身の丈に合ったサービスをきっちりやる。それ以上のこと、できないことは〈できない〉とはっきりさせる。抹茶サービスをやるところがあれば、日本全国どこでも同じようなことをやる。自分のところに合う合わないは別として、とにかくやればいいという形だ。そういう形は、もはや完全に崩れてきたと思うべきだ」と。
そのとおりだ。その中で顧客満足を与えるあり方が、実は顧客重視なのだ。単に金をかければいいといった夢物語は、ここ清風園では消えた。 
(企画設計・松本正憲=文中敬称略)

(つづく)

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