「旅館再創業」 その4
部門長に緊張感と驚愕が |
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経営改善に着手した清風園2階の会議室に、各部門長が顔をそろえた。だが、何人もの人間が集う特有のざわめきはない。代わりに居並ぶ部門長の急増したアドレナリンが、動悸にも似た波動となって室内に満ちている。第2ステップの部門長会議が始まった。
寂として声はない。私はタイミングを見計らっていた。というのも、この会議は議論の場ではない。経営改善プロジェクトは、もはや「やるか、やらないのか」の議論は無用だった。それらは経営トップの役員会議で尽くされている。結論は出ているのだ。ここでは、それを「どのように具体化し、推進するか」を周知するのが主眼だった。
見まわせば、誰の顔にも緊張の色が浮かんでいる。心中は察しがつく。かつて経験したことのない何かが始まろうとしているのを感じてのことだ。不安や緊張が伴うのは当然であり、それらが伴わない部門長では心もとない
ここ清風園は、当地でも老舗旅館の一つにあげられる。いわば名門だ。そうした旅館の常として、ぬるま湯的な社風のはびこる要素がある。それが緊張感を乏しくさせているケースに、しばしば遭遇する。
常務の陶山和恒は、あるときこういった。「周囲から清風園がつぶれるわけはないといわれ、そうした話を安易に受け入れて安閑としていた感じもまったく否定できない。なんとかなると思っていた時期もある。だが、現時点でそうした捉え方はできない」と。
役員が気づいている分だけ、ここ清風園は有利だ。経営改善による効果が期待できる。だが、そうした感覚を部門長も共有しなければ、コトは進まない。それには緊張感が欠かせない。
会議は、今回のプロジェクトについて概要の説明に移った。計画案の全容が部門長に知らされるのは、正式にはこの会議が初めてだった。もちろん、何かが始まろうとしていることは、誰もが薄々は感じていた。若干のリークもなされていてだろう。
私は、説明の過程で時おり各人の表情を、さりげなくだが注視していた。特定するのは憚られるが、当初の緊張感によるこわばりから、驚愕するもの、困惑するもの、両者ないまぜなど三様の変化を示した
というのも経営改善について私は、「肝臓病と糖尿病を同時に治療するようなもの」とかねがねいい続けてきた。栄養過多ともいえる人件費肥大部門では、設備の整備と大胆なパート化などで人件費コストを大幅に削減する。驚愕や困惑は、そうした改革に対して「そんな頭数で運用するのか」という点だった。
ぬるま湯的な運営状態の下では考えられない厳しさが、そこには潜んでいる。働く側の常として「少しでも楽な状態」を求める。そうした意識は、真っ向から否定されるわけだ。計画の詳細は理解できなくても、自身に影響しそうな部分は直感的に嗅ぎ取る。これも常のことだった。
だが、そうした状態を経営側からみれば、給与にみあった仕事をしていないといえる。ところが、給与にみあう仕事の基準を明示している企業は、意外なほど少ない。その辺りをナアナアで済ませてきたのが、ぬるま湯ともいえる。
仕事の基準に連なるもう一つの喩が、仕事内容のレベルだ。私流にいえば仕事は「全国大会・県大会・地方大会」によって選手の力量が違うということ。全国大会は幹部社員、県大会は一般社員、地方大会はパート、ということになる。パートの力量ですむ業務内容に社員を充てて人件費を肥大させる一方、幹部社員がなすべき業務を一般社員に任せてプロフィットを半減させるような愚は、排除し負ければならない。
そこで、必要な人員は増やすが、一方でパート化も図る。また、仕事のレベルによっては給与を引き下げられる人間も必ず出てる。
〈そんなことを平然という私は、鬼か〉
そう、今の立場は、社員からみた鬼に徹するのが、損な役回りだが私の役目なのだ。いま、やろうとしていることは、個人の都合で働くのではなく、会社の都合に合わせて働いてもらうための運営変更なのだ。
(企画設計・松本正憲=文中敬称略) |
(つづく) |
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