「旅館再創業」 その1
拙速より熟考を選ぶ姿勢
Press release
  2004.06.05/観光経済新聞

タクシーが温泉街へ続く橋を渡り始めた。〈何度目だろ〉そんな思いがふと湧いた。前回の会議で頼んでおいたことに〈果たして答えが出ているのだろうか、それとも繰り返しになるのか〉との懸念があった。川の水はとどまることなく流れ、動きの鈍い淵でさえ瞬刻前の水はそこにない。欄干ごしに眺める千曲川の川面が、脳裏に潜んでいた疑念を、思考の表へと引きづり出したようだった。
私は、首を軽く振ってその思いを断ち切った。私がなさなければならない事柄に変りはない。それが与えられた使命であり、自ら選んだ生業なのだ。〈使命〉と思った瞬間、思わず顔があからむのを感じた。
「えっ、何か」
不意に運転手が声をかけてきた。私はとまどった。
「いや、別に……」
〈そんな大仰なことではない〉と思った瞬間、言葉にならない声音(こわね)がこぼれたのかもしれない。私は改めて首を振った。思いを巡らす間もなく温泉街の入口へ車は進んでいた。見覚えのある曲がり角がフロントガラス越しにみえている。
車寄せで案内の女性が言葉をかけてきた。すすめられるまま後に従い、ひとまずロビーに腰をおろした。飛行機と新幹線を乗り継いできた疲労感が、ともすれば首をもたげそうになる。そんな自分を叱責し、悪弊でもやめる気のないタバコに火をつけた。ロビーには「無事」の二文字を染め抜いたハッピ姿の従業員が、忙しく立ち回っている。心なしか初めて来た頃よりきびきびした動作に見えるのは、私の思い過ごしか……
ほどなく、今日第一回目のミーティングが始まる。仕事の時はいつものことながら、自分でも呆れるほどタイトなスケジュールを組んでしまう。一分、一秒が惜しい。他人は貧乏性というかもしれないが、そうではない。コンセントレーション――集中が何より大事だと思う。
大切なことを決めるのに時間がかかるのは厭わない。だが、集中力の欠けた時間の浪費はたまらない。それこそ〈死に時間〉だ。ダラダラした後の結論は、実行に移すと往々に齟齬が生じる。時間は錯覚を生み出す一因なのだろう。互いに分かり合ったような気分になり、馴れ合いが生じるからだ。私流にいえば「デキレース」に陥りやすい。
ここ清風園の案件でそうした〈死に時間〉は許されない。だが、橋の上で感じた懸念は、いま一つ私のペースにはまり切らないもどかしさが、心の隅でくすぶっているためらしい。
ミーティングの会場は2階だ。社長の飯島隆、副社長の飯島寿一、常務の陶山和恒、それにメーンバンクから一人参加している。会議室には、言葉では言い表せない鋭敏な空気が充満している。いわば、各人の「やる気」が醸し出す心地よい緊張感だ。私の最も好きな雰囲気といってもいい。言葉には出さず〈さて〉と腹を据えた。
だが、私の高揚はほどなくして断ち切られた。頼んでおいたトップによる社員の個人面談が、ほとんど進んでいない。やんぬるかな―。しかし、そうした状況が解らないわけでもない。初めての試みである。
進行中の再創業プロジェクトは時宜を逸してはならない。といって拙速も許されない。飯島らトップが十分咀嚼する時間が必要だ。私のペースで計ってはいけない。橋の上で感じた疑念は、飯島らではなく私自身のスタンスを問うものだった。私の役目はファシリテーターなのだろう。そう考え直すと疑念は氷解し、会議への高揚感が戻った。
今回のプロジェクトは、課題が山積している。構造改革によるコスト削減ではすまない。経営改善へ向けた人事考課システムから、経営解析と解析したものを活用するシステム、そして最終的なプロフィットの確保にまでおよんでいる。
後刻、副社長の飯島寿一がいった。「何日間も会社の幹部が会議室にとじこもり、人事制度の会議をしている。一体どうなるのか心配して聞きに来る社員が何人もいた」と。同様の話を社長や常務からも聞いた。真剣に取組んでいるがゆえの遅滞だった。これならば先行きに期待がもてる。
 (企画設計・松本正憲=文中敬称略)
(つづく)

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