「旅館を黒字にするために」 その38
「人」と「カネ」の有効利用を
Press release
  2002.02.02/観光経済新聞

 総務部門をアウトソーシングする「スーパー総務」の発想は、現行の社内機構を完全に否定するものではない。ただ、必要な手直しは、現下の状況では断行せざるを得ないことを、具体的な数値として示す意味合いから、前号でシミュレーションを試みた。このシミュレーションの対象になった諸業務は、以下のような観点から捉え直すことができよう。
 第一は、業務の専門性である。これまで述べてきたように多くの業務は、その作業内容について、具体的な質・量を数値的に精査されるケースが少なかった。従来の流れのなかで、経営サイドでは「あるのが当然」と思い、従業員サイドでも慣れた業務への改革を嫌う傾向があったことなどから、結果として業務の閉鎖性が生まれていた。それほど高度な業務ではないのにもかかわらず、あたかも専門職のような作業環境が形づくられていたわけだ。言葉を換えれば、パートでも十分対応できる業務に社員をあたらせ、必要以上の経費を支出していたともいえる。
 こうした視点を踏まえて総務関連の業務を捉えてみると、確かに一部の業務処理においては、一定レベルの専門性を必要とする。問題は、専任としてあたらせている者の業務処理能力である。例えば、実際の作業段階になると外部の社労士に依存する業務が少なくない現実を、どのようにうけとめるかである。専門的であるがゆえに、総務部長の肩書きをもっていても知らないケースがあり、それが社労士への依存といった形になっている。加えて、業務範囲が広いことから、全般に専門性を高める機会が薄らぎ、監督官庁などとの折衝力の強化も思いどおりには進みにくい。
 これでは担当者を専任しておく意味合いが乏しい。むしろ、人件費の面ではマイナス要因といえる。専門の能力を有し、監督署などとも絶えずコンタクトをとっている社労士に任せる方が、理に叶っているといえる。裏返せば、専門の社員を業務に貼り付けずに、アウトソーシングを検討する余地が大きいということである。
 第二は、業務におけるアイドルタイムが多い点である。これについては、現状の作業環境をみれば、改めて説明の余地はないはずである。アイドルタイムで発生するロスは、思い切った配置転換などによって解消する必要がある。
 この場合にネックとなるのは、アイドルタイムが発生しても、現実に「その仕事」が時に発生して処理をする人間を必要とすることである。そこで、業務内容を精査し、そうした「仕事」をアウトソーシングする方向転換が必要だと筆者は考える。
 第三は、作業担当者の育成問題である。極めてシンプルに割り切るならば、企業が社員を必要とするのは、業務を遂行して利益をあげるといった「目的」を果たすためである。そして社員には、業績に応じた相応の報酬を払う形が原型であるはずだ。教育は、その業務を遂行する上で必要な知識・技能を身に付けさせるものであり、あくまでも業務遂行に必要な「手段」にすぎない。その「手段」の確立が必要以上の負担となるのであれば、あるいはそうした状況に企業がおかれているならば、そうした育成は一定期間の見送りが必要である。
 誤解してならないのは、個人が専門性のある業務で必要とする基礎的な知識・技能の育成と、サービス業として企業が本来必要とする基礎教育とは別物であるとの認識だ。例えば、経理処理に必要な機材を導入し、操作に必要な専門教育を施す場面を考えてみればいい。ここでの教育は、どこまでいっても担当者のスキルアップであり、間接的に企業に貢献するという発想だ。担当者が企業を辞めてしまえば、そこで投入した経費は「死に人件費・教育費」となってしまう。もちろん、企業の永続性を考慮すれば、多少のロスは承知のうえでそうした対応も必要であるが、現下の厳しい状況では、こうしたリスクは極力避けるのが望ましいともいえる。
 そこで、育成の不要なアウトソーシングが注目できる。「スーパー総務」に該当する事務センターなどは、そうした知識・技能の専門集団だからである。
 前号でシミュレーションした「スーパー総務」では、年間で五百万円はかかっていた人件費を百数十万円に低減する数値面の効果をはじき出していた。さらに考えられることは、そこで発生した経営資源の余力を、社長直属の経営ブレーンの確保に投入することが可能だという点である。いわば、状況打開の新たな展開には、「人」と「カネ」の有効利用が、いまこそ必要だと筆者は考える。
(続く=経営コンサルタント・松本正憲)
(つづく)