「旅館を黒字にするために」 その29
収益重視型の給与体系を
Press release
  2001.11.10/観光経済新聞

 引き続いて人件費の一部可変と年俸制を考えることにする。前号では、「不況だから人件費を可変させ、あるいは年俸制にするのではなく、旅館・ホテルが利益を上げるために必要な施策として捉えることである」と結んだが、これは、換言すれば「年俸制」の意味合いを未消化のまま、形のみを採用しても効果は期待できないということにつながっている。 実際には、安易な年俸制によって経営を悪化させたケースもある。まず、このケースを紹介してみよう。この企業は、年俸制を導入する以前は、もちろん年功序列の給与体系であった。それが年俸制に変わったからといって、給与に対する社員の意識が変わるわけではないということである。いわば、「月にいくら」が「年間でいくら」に変わっただけである。
 仮に「月給二十五万円」であれば、「二十五万円×十二カ月」で「年俸三百万円」となり、これに賞与がそれぞれ加算されるだけである。少なくとも、従前の発想ならば、月給でであれ年俸であれ、年間に支給される額は「三百万円+賞与」となる。これではまったく変わらない。 給与に対する意識が変わらないということは、実は労働そのものに対する姿勢が変わらないということであり、ひいては企業体質も変化しないということになる。
 もちろん、年俸の場合は、企業側の今期の実績と来期の予想を基に、社員側の自己の目標数字を勘案しながら算定することになる。したがって、定期昇給に関しては、年功序列のような給与の単純な上昇を抑えることが可能である。だが、そこまでである。予想が下回れば企業の利益は消えていく。
 企業の業績は、企業をとりまく諸環境・条件の変化に左右される。ただし、問題をそこに転化しても、企業はなんら救われることはない。もちろん、利益が天から降ってきて補填されるわけではない。
 つまり、利益が消えてしまうような状況の変化に遭遇した場合、それでも目標の利益を確保するように努力し工夫をするのが、社員側の責務といえる。前号で述べたように、「企業が社員を雇って給与を払うのは、利益を追求するためである。利益を出すことによって目的が達成され、給与はその対価として位置付けられる」のである。
 前述した失敗のケースは、こうした視点が欠落していた。換言すれば、年俸制に移行したことで社員の意識は、月々の生活保障が年間の生活保障へと変質してしまったともいえよう。これでは経営環境の変化を克服する努力や工夫が、安閑としたなかで消えることも容易にあり得るといえる。むしろ、年間保障がそうした傾向を、無意識のうちに助長することにもなりかねない。その意味で人間は、変化を嫌い、易きに流れる傾向があるといわれている。
 そこで、冒頭の「形のみの年俸制」の採用は効果がないということになる。一般に年俸制での給与体系では、評価の方法がさまざまな形でシステム化されており、経営書などでも紹介されている。基本的には、個人の評価、所属長の評価などを基に、評価委員会などの経営機関を経て決定されることになっている。前シリーズでも指摘したように、こうしたシステムは単独で存在するものではなく、社内の他のシステムとも連動し、トータルの中の一分野として機能している。したがって、「いいとこ取り」は、危険を呼び込むことになりかねない。
 例えば、「職能」一つにしても、社員がなすべき責任と権限が明確に規定されていなければ、公正な評価は下せない。これは、業務遂行に関わるシステムとしての問題でもある。つまり、職務が明確に規定されていなければ、評価基準も曖昧にならざるを得ない。そこで、人事考課における職務の「等級性」が不可欠な要素となってくる。いわば「何年いたから」ではなく、「どれがけの仕事が可能か」といった「物差し」が必要なのである。逆に、こうした物差しがないと、情実に左右された所属長の評価なども生じ、結果としてせっかくのシステムが、所期の目的を見失うことにもなる。
 視点を換えれば、自己評価や所属長評価、評価委員会などの経営書にある形を単純に真似たところで、実効はあり得ないということである。むしろ、仕組が煩雑になることから、旅館・ホテルのように多様な業務形態が錯綜する業種では混乱を招く結果になりかねない。そうした業務形態に対応するためには、各館の実情に即したシステム開発が必要であり、我田引水ではないが私どものノウハウが生きることになる。
(続く=経営コンサルタント・松本正憲)
(つづく)