「旅館を黒字にするために」 その12
適正な販売価格の設定を
Press release
  2001.07.07/観光経済新聞

 旅館・ホテルを不動産業と捉えた場合、例えばアメリカのホテルでは次のことがいえる。最も端的なことは、客室稼動のいいホテルでは、料飲部門を「おまけ」的にみているということである。逆に客室稼動の悪い施設では料飲部門にかなり力を入れている。当然ながら、建物のコストを吸収するために、料飲部門に力を入れざるを得ないからである。
 客室稼動が高くて、単価がよければ大きな利益を生むのは必定だ。したがって、高稼働・高単価が当然視されたバブル期までの日本においても、極論的にいえば「ノウハウのない経営者」でも勝負ができた。前号で例えた「借金をする度胸があって建物さえ建てられれば」云々といえるケースも稀ではなかった。ところが、それが崩れてくると、とたんに経営的に苦しくなってしまう。
 冒頭の客室稼動と料飲部門の関係は、一泊二食を前提とした一般的な日本旅館の経営手法とニュアンスは異なるが、例えば「単価が下がり、トータルで商売が合わなくなってきた」との状況は、料飲部門に力を入れざるを得なくなったアメリカのホテルのケースと類似するものがある。つまり、不動産業の本筋が見失われたか、ないしは不動産・料飲の二部門を混在させざるを得ない状況下にあるということだ。互いに利益を相殺しあい、トータルとしての利益が生み出されない。
 そこで、どうするか。その前に、筆者は旅館・ホテルの経営者にしばしば問うことがある。それは、「自館の適性販売価格をどう捉えていますか」ということ。これへの明快な答えは、ほとんどの場合に返ってこない。そこには二つの理由があるようだ。
 一つは、日本の旅館経営にファジーな面が多々あるのに対して、アメリカ型ホテル経営は的確なマネジメントが根底にある。この違いであろう。ファジーの一つとして、伝統的な「家内工業的側面」がある。こうした要素が経営の根底に色濃く残っているために、本来は区別して考えるべき不動産・料飲の両部門が渾然としてしまう。ところが、経営がシビアに捉えられるようになると、適正販売価格が明確にみえてくる。
 例えば、旅館商品の売り方そのものも、「旅行業者が決めればそれが値段になってしまう」といった状況とは違ってくるはずだ。「おたくは四万円で売らなくてはといわれれば四万円で売り、一万円といわれれば、それも飲む」など、状況が低価格志向になると、どんどん下方修正をしてしまう。言葉悪くいえば、こうした「いいかげんな体質」は、当然ながら払拭しなければならない。こうした状況は、不動産業の原点を忘れたときに生じるといえる。
 もう一つは、かねて指摘してきたように、不動産業を根底に据えた解析である。本来の部屋を売るには、総建築コストがあり、キャッシュフローによる返済などを踏まえて、一年間に売らなければならい償却率が出てくる。その償却率を、部屋ごとに按分する。同様に宴会場も按分し、全体としての商品価格を組み立てるのが第一歩であり、さらに、年間の修繕費・クリーニングコストなどを加算し、稼働率を設定して適性利益の出る仕組みを構築することになる。これに料飲部門の原価率(原価・サービスコスト)をジョイントさせて、最終的な販売売価が決まる。
 要は、適正なマネジメントによって販売価格の設定が行われなければならない。状況や相手(旅行業者)まかせ一辺倒では、本来の経営は成り立たない。
 そこで、旅館・ホテルが早急に行わなければならないのは、部屋単価を仮想して不動産部門と料飲部門の利益がどうなっているかの解析を急ぐことである。
 そうした時に、象徴的ともいえるのが不動産業としての部屋の売り方である。いわゆる「空気を泊めるよりは」という発想である。この点に関しては、かねて「今日売る商品を明日売ることはできない」と認識されているにもかかわらず、依然として「空気を泊める」ケースがはびこっている。空気を泊めるよりは、いくらかの料金でも客を泊めた方がマシなことは分かっていても実行されていない。宿泊オペレーションと料飲オペレーションが、人員施策を含めて混在したまま定まっていないからである。
 例えば、夕方おそく入りたい、朝はやく出たい、素泊まりでもいい、というような条件が出ると、部屋が空いていながら断るケースがある。それは、不動産業としての本来の姿に照らすとあり得ないはずだ。そうしたニーズの客もいるわけで、それらの客を排除しながら「自館に都合のいい客を求めている」との疑義を差し挟む余地が多分にあるようだ。たしかに、返済は待ってはくれない。下方修正をしながらでも売ることになる。しかし、不動産業としての部屋の売り方を考えたとき、従来とは異なる視点に立つ必要がある。
(続く=経営コンサルタント・松本正憲)
(つづく)