「旅館を黒字にするために」 その10
己を知れば百戦殆うからず
Press release
  2001.06.23/観光経済新聞

 孫武の著わした兵法書『孫子』十三巻の一節(謀攻篇)に「彼(俗にいう敵)を知り己を知れば、百戦殆(あや)うからず。彼を知らずして己を知れば一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」という言葉がある。今から二千数百年前の中国・春秋戦国時代に著されたものだが、今日のビジネスの最前線を「戦場」に例えれば、いかにも的を射たもののようであり、これを座右の銘とする人間も少なくない。
 ところが、現実の場面においては、「己を知ることの難しさ」を多くの人間が痛感している。企業についても同様である。企業は、利益を追求するものであり、そのためにさまざまな事業を展開している。旅館・ホテルであれば、顧客に宿泊を提供し付帯する諸サービスと一体化した中で利益を求めることになる。ゆえに、旅館・ホテルの「己」とは宿泊業ということになる。だが、それだけでは己を知ったことにならないのを、漠然とではあるが大多数の経営者が感じているようだ。
 最も端的なものとして筆者は、旅館・ホテルの実際を、客室を提供する不動産業の部門と、付帯するサービスを提供する料飲部門とに大別し、それぞれの関係性を指摘してきた。換言すれば、両者を並立させているのが、今日の一般的な姿ではあるが、二つの部門のどちらにウエートを置くかで、当然ながら己の姿が変わってくる。また、ウエートの置き方そのものは、経営状態によって可変させる必要もある。
 この点については、本シリーズの中で経営状況を三つのグループ分けによって捉えてきた。第一のグループは、不動産業部門・料飲部門の両部門でまずまずの実績をあげている黒字の旅館・ホテル。第二のグループは、不動産部門はそこそこだが、料飲関係の運営経費が全体的な利益を圧迫しているケース。第三のグループは、料飲部門が不動産部門を脅かしているケースなどだ。そして、多くの旅館・ホテルが第二、第三のグループに含まれる。グループごとに己の実相が異なれば、集客手法や販売単価をはじめとした現実への対応は、それぞれ全く違った展開が必要になるのも当然の帰結である。
 つまり、宿泊業といった茫漠とした捉え方では、己について何も分かっていないのに等しいといえよう。冒頭の「己を知る」とは、およそかけ離れたものになってしまう。また、己が分からなければ「彼を知る」ための手立ても見出せなくなる。情報化・IT革命が進む中で「敵=彼」の情報は多種多様である。その中から必要な情報を取り出す手法は、己にかかわりのある情報を、いかにして正確に取捨選択するかにある。これは、情報の洪水に飲み込まれないために不可欠な作業であり、その決め手が的確に把握した「己」というフィルターにほかならない。
 禅問答のような運びになってしまったが、要は、宿泊業といった大きなくくりでドメインを捉えるのではなく、経営状況の把握に基づいて、より現実的なドメインを確立することが、自立再建を進めるうえでの急務といえる。
 そして、ドメインが明確化されれば、前号で提示した「客の選別」も可能となり、赤字要因を処理した黒字化への途が拓けてくることになる。選別することによって、必要なサービス部門のみでの対応が可能になるからだ。同時に、顧客の満足度も高めることが可能となる。
 こうした展開には、ややもすると矛盾を訴える経営者も少なくない。
 「サービスの低下する可能性があり、それによって満足度も低下してしまうはずだ」
 といった意見が返ってくる。だが、果たしてそうだろうか。例えば、施設・料理はパンフレットなどでも明示できるが、サービスの実際は抽象的にしか示せない。抽象的な美辞麗句が並んでいれば、おのずと期待感は高まってしまう。ところが現実は期待感どおりにはいかない。一定の料金内で提供できるものには限りがあるからだ。そこに、提供する側と受ける側でのギャップが生じる。
 とりわけグループ分けした第二、第三のグループにとって、このギャップを埋めるためのサービス体制の維持が、実は過剰な人件費の支出を招き、黒字化を阻む最大の要因になっている。筆者は、これまでも「黒字を達成する当面のカギの一つは人件費の操作であり、仮に年商五億円程度の旅館でも、人件費は一億五千万円ぐらい出ている。それが四、五千万円で収まれば、当然ながら黒字になる」と指摘した。また、経営状況によってはコンドミニアム化など不動産業務に徹して、労働生産性をあげなければならないケースがあることも示唆した。
 つまり、己を知り、ドメインが明確であれば、自力再建へ新たな手立ては十分に講じられる点を強調しておきたい。これらを踏まえて次号からは、不動産業としての視点で考えてみたい。
(続く=経営コンサルタント・松本正憲)
(つづく)