「旅館を黒字にするために」 その9
発想を転換、視点を変えろ
Press release
  2001.06.16/観光経済新聞

 厳しい経営環境の中で旅館・ホテルは、自館の経営方針をどう定めるかが極めて大きな意味合いをもっている。いわずもがなのセリフだが、これまでも度々指摘したように、ややもすると永年の経験則に埋没しがちである。経営者自身が、自館のあり方を身体で感じ、思い込んでいるからだ。前号で「客の選別」について触れたが、この場合の「客を選り好みなどしていられない」といった状況は、いわば経験則に発したものだといえる。発想を転換して視点を換えたとき、新たな対処方法に気づくケースも少なくない。
 筆者は、旅館・ホテルの経営状態から三つのグループ分けを示した。これは、単に実績によって三つのレベルに分けられるという意味ではない。大切なことは、それぞれ該当するグループを見分けた上で、自館のあり方を再検討することである。そこから、どうすれば利益の出る体質に転換できるかを模索することである。
 極めて古典的な哲学の比喩に「樽の理論」というものがある。樽は何本もの樽材を束ねてタガでまとめるものだ。そして、「もっとも短い樽材の部分以上には水を入れることができない」といった当たり前のことを例えている。こうした当然の理をもっともらしく語る気は、もとより筆者にはない。注目して欲しいことは、樽材の長さと中に入る水の量の関係ではなく、どれだけの水を入れるためには、どの長さの樽材を揃えるかという点である。
 つまり、樽を作って水を入れたときに「入る量」を問題にするのではなく、最初に「どれだけの水を入れるか」を想定して樽を作ることが、結果として入る量を云々するよりも肝心だということである。
 たとえば、樽材の一つひとつは、旅館・ホテルの施設であり、サービスや料理などである。それらを組み合わせた結果として、一つ経営スタイルができあがる。こうして完成した樽の中は、顧客への「満足」といった経営方針で満たされることになる。聡明な読者はお気づきのことと思うが、その樽材のどれか一つの寸法が他よりも短ければ、結果として提供できる「満足」のレベルも、短い樽材のレベル以上にはならない。
 日常よく使われる言葉の一つに「一点豪華」というものがある。例えばホームパーティーの料理などは一点豪華でもコト足りる。だが、プロの提供する料理には、その理屈が通用しない。前菜の一つにもプロの技が反映されていなければ、満足度は一気に低下する。総合的な意味での満足は、すべての面で旅館・ホテルのプロとしての満足度が満たされていなければならない。したがって、各部門におけるレベルのすり合わせ・調和が必要ということになる。この結果、満足度と販売戦略の関係が問われると、とりあえず「底上げ」といった発想が、これまでは通り相場のごとく人口に膾炙されてきた。経営コンサルタントもしかりである。
 この「底上げ」に対して筆者は「否」の言葉を提示したい。これは前号の「客の選別」にもつながる。誤解を避けるために付言すれば、底上げの努力を全く否定するのではなく、自館の定めた目標に対して満たすべき条件への底上げは必要である。では、何を「否」というかといえば、前出の三タイプを見極めずに行われる闇雲な底上げである。
 「どこそこのアメニティが良かったので、あのレベルを検討したい」
 「部屋のつくり方は、あそこのように」
 「サービスの仕方は、どこそこの方法を取り入れてみよう」
 といった安易な模倣は、決して「底上げ」にはつながらない。これは、旅館・ホテルの評価が総合点に左右されることを考えれば当然のことであり、樽の理論など引き合いにだすまでもない。大切なことは、経営方針に則った全体としての調和であり、各部門の有機的ななつながり感である。したがって、筆者が樽の理論を持ち出した理由は、結果としての入る量を問題視したからではない。従来とは視点を変えて、中身の量に貢献せずに不要な長さとなっている樽材にこそ問題があり、それをどのように扱うかである。
 端的な話、たとえば料理において、平均単価が一万五千円の旅館で、三万円の単価に相当するレベルの板前が必要か否かである。「満足=底上げ」を差別化とみれば、一見して理に叶っているようでもあるが、実際には一万五千円から割り出した原価構成でしか対応できない。そうなると余分な経費を支出しているといわざるを得ない。度々指摘したように、不動産部門の利益をサービス・料飲部門が食いつぶしているともいえる。一事が万事である。それらを見極めて処理をすれば、おのずと利益の出る体質の一端がみえてくるはずである。そのためには、三つの経営グループを見極めたうえでの「客の選別」が大きな意味をもってくる。
(続く=経営コンサルタント・松本正憲)
(つづく)