「旅館を黒字にするために」 その8
宿にとって「いい客」とは |
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「価格破壊はどこまで進むのか」
「これ以上の低価格では、もはや経営は成り立たない」
厳しい現状がどこまで続くのかの問いに、明確に答えられる人間はいないはずだ。小泉新内閣の誕生で、なんとなく政治が身近になったとのマスコミ論評をしばしば耳にするが、ゆえに現状の経済環境が改善されるとの報はない。といって、手をこまねいているわけにはいかない。では、どんな手を打つのか。筆者は前号で、営業グレードを明確化し、相応のサービス体制を再構築する必要があると提言した。
これには、総論で同意する経営者は多いものの、各論になると理解が得難いようだ。例えば、営業グレードに関連して「いい客(高単価)を取ろうとするから黒字が出ない」といった一見して逆説的な展開をすると、当然の答えが返ってくる。
「現状では客を選り好みなどしていられない」
「低単価客が多いなかで高単価客を取らないなど、もとよりできる話ではない」
「施設・料理・サービスともに相応の客単価を想定して体制を整えているのだから、そこには何の矛盾もない」
果たして、そうなのだろうか。一例をあげてみよう。
団体旅行が主流の時代を振り返ってみると、何百人収容の大宴会場が食事場所としてセールスポイントの一つになっていた。あるいは多目的ホールなども同様だ。それが旅行形態の変化に伴ってグループ・個人客へシフトすると、大宴会場から小間の食事処が新たなセールスポイントとして台頭してきた。いわゆる料亭街や味小路といった館内の食事処が、パンフレット上などでも踊り始めた。ところがその裏側では、大宴会場が「無用の長物」と化していった。
そこで、稼働率の低下した大宴会場の不要論が起き、実際に小間対応の食事処として改装をする旅館もあれば、大型団体が入ったときのために温存させる旅館など対応はさまざまで、現在でも最終的な結論は出ていない。そうした対応の是非は別の機会に譲るとして、ここでは、不要論と温存論の現状だけを捉えてみたい。
つまり、大宴会場が本来の機能を十二分に果たし、結果として利益を生み出すことに貢献していいるか否かである。結論からいえば、貢献度は低い。百歩譲っても「年に何回かの大型団体に寄与している」「朝食会場に利用している」といった回答が返ってくるに過ぎない。これでは不要論を退ける説得力に乏しい。
しかも、施設として維持するには少なからぬ経費が生じている。仮に低稼働であっても、経費を引いたあとに利益を生み出しているのならば、無用の長物などといわれなくともすむはずだ。だが、そうではない現実を多くの経営者が実感している。
こうした現状は、視点を変えると「いい客を取ろうとするから黒字が出ない」といった論にも通じる。筆者は、本シリーズの第五回で経営状況から三つのグループ分けを提示した。その中の第一グループといえる黒字旅館、いわば低価格志向や価格破壊と無縁の営業グレードを維持できる旅館・ホテルならば、この論は不要かもしれない。だが、現実は違う。第一のグループは少数派なのである。
ここで大切なことは、「いい客」の満足が付け焼刃で満たされるものではいということ。そこには、日常的なレベルで接遇のシステム構築がなされ、維持されている必要がある。これについて異論はないはずだ。むしろ、現在もその努力を日々積み重ねているとの答えが大多数を占めるはずである。そうした努力は否定しないが、あくまでも営業グレードの認識と明確化が条件である。
三つのグループ分けの中で、第二・三のグループに属した旅館・ホテルは、ここでいう「いい客」で常に満たされるどころか、むしろ稀な客とさえいえる。にもかかわらず第一のグループと同じような接遇のシステム維持をしようとしているのならば、前述の大宴会場と同じである。しかも、人件費は施設の維持以上にかかるわけであり、本来なら得られるはずの利益を目減りさせ、赤字化の要因にもなっている。
確かに、現状のままでは「客を選り好みなどしていられない」云々もやむを得ない。しかし、料飲関係の運営経費をカットすることで利益が出るケース、さらに不動産業務に徹して労働生産性をあげることで自力再建が可能ケースなど、自館の方向性さえ明確に設定し直せば、景況の回復とは別に、自力でトンネルを抜ける手立てはある。
けだし、「いい客を取ろう」としている現状に対して、「それを取らないことが黒字につながる」といった極論を受け入れるの難しいかもしれない。経営者の資質にも大きくかかわるといえよう。
(続く=経営コンサルタント・松本正憲)
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(つづく) |
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