「旅館を黒字にするために」 その7
「顧客の満足」とは何か |
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顧客の満足とは何か。極めて根源的な永遠のテーマである。回答は時代とともに変化し、しかも客層・旅行目的ほかさまざまな要因によってバリエーションも多様だ。まさに十人十色で捉えどころがない。ゆえに、定型的あるいは画一的な答えは出ない。永遠のテーマであるゆえんも、実はそこにある。
では、どのようなサービスに対して、満足度がどう変化するのかを考える必要がある。いい換えれば、顧客の満足を経営者としてどう捉えるかである。
海外のホテルでの具体例として、ハイアット方式というものを筆者はしばしば引き合いに出す。ここでは、例えばエグゼクティブフロアには、コンシェルジェを置いている。専属のスタッフを配置し、顧客の要求には徹底して応じる体制をとっている。これによって、特別に「人手を加えているから高いサービス料が取れる」という発想が成り立つ。顧客側でも、それによるステータスの高さによって満足度が高まるわけだ。
一方、日本の旅館では、これまでにも指摘したように、客単価の違いが歴然とあるにもかかわらず、自館のサービス方式にこだわるケースが少なくない。結果として、そこでのサービス提供が人件費をはじめとした諸経費を増大させてしまい、結果として利益を圧縮することになる。
これについて前号では、販売価格の妥当性とサービス水準について問題を提起した。つまり、不動産・料飲両部門の財務解析と現実に見合った改革をどう推進するかである。サービスの質を考えたとき、客単価の違いに連動したサービスの可変性が、当然ながら求められるはずだ。ところが、前述のような自館のサービスへのこだわりがある。
古い言葉ではあるが、永年培ってきた「のれん」への自負が、こだわりの背景にある。そのため、低価格には当然あってしかるべき低価格サービスが行われずに、しかも「のれん」によって高価格サービスを提供する結果になっている。評判・評価にしばられている姿というのは極論であっても、そうした外因に左右される傾向も少なくない。
実際には、低価格客でも高価格客でも同じように接待要員を貼り付け、サービス内容に若干の濃密差はあっても、基本的には同じスタンスでサービスを提供することになる。ここでの問題は、「可能な限り(単価による)客差別をせず、のれんに見合ったサービスを提供する」といった提供する側のスタンスである。無理を承知で「のれん」を守っているわけだ。ところが、そこでの若干の濃密差が、低価格客のクレームに発展するケースも稀ではない。低価格志向・価格破壊が進む中で、精一杯に対応しているにもかかわらず満足度が低くなるようでは、まさに「泣面に蜂」としかいいようがない。
こうしたジレンマが生じる要因は、実は、たびたび指摘しているように、明確な財務解析を行わず、あいまいなままに済ませている経営実態にある。
端的にいえば、顧客は評判などによって期待を抱いている。いわゆる「のれん」という価値観に対して、客単価にはかかわらず利用が決まった段階(予約=利用に対する契約)から、評判どおりの諸サービスが当然受けられるものと期待をしている。したがって、期待と現実のギャップが生じたとき、満足と不満の印象が分かれることになる。
冒頭に引用したハイアット方式の場合、エグゼクティブと一般では、料金が違えば提供されるサービスも当然ながら異なる。これに対しては、多くの経営者が「それは当然であり、当館でもそうした対応ぐらいはしている」といった答え方をする。
もちろん、それに準じた接遇の可変性が行われていることは筆者も認識しているが、問題は前述のようなスタンスである。ハイアット方式では、この点が極めて明快である。同時に、利用者の側でもそうしたサービスの提供のされ方を了解したうえで利用している。したがって、双方の満足度にミスマッチの生じるケースは低減されることになる。
ところが日本旅館では、サービスを提供する側のあいまい性によって、利用者も期待感を膨らませる。そこにギャップが生じる。同じ施設・料理なら安い方を求める。ところが実際はサービスに違いがある。それが満足か不満の分岐点になる。安くてもサービスへの期待が高いからだ。
以上のことがらは、サービス内容と満足度の関係、あるいは客単価に見合ったサービスの提供、あいまい性による諸経費の増大とそれによる利益の圧縮といったデメリットの問題だけではない。根本には、自館の経営スタンスの問題がある。提供できるサービス、いい換えれば営業グレードを明確化し、相応のサービス体制を再構築する必要があるということだ。
(続く=経営コンサルタント・松本正憲)
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(つづく) |
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