「旅館を黒字にするために」 その1
自滅スパイラル回避を |
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二十一世紀がスタートして三カ月が経過した。かつて、といってもそれほど遠くないバブル期に、「観光は二十一世紀の花形産業」といったフレーズをしばしば耳にした。それを心地よく受けとめた記憶は、心の奥のさらに最下層に沈殿してしまうほど、現実はかけ離れてしまった感がある。
だが、この言葉は決して死語になったわけではない。「花形」というきらびやかさとは別の姿に形を変え、生活の一部として確実に根付いた。視点を換えると、旧来の「非日常」一辺倒では対応できないほど多様化し、変貌をとげた。例えば、贅沢行為と目されて宿泊や飲食に課税され続けてきた悪税さえ、業界運動から消費者を巻き込んだ世論喚起によって廃止された。観光旅行が生活の一部として「普通の行為」となった証左の一つともいえる。
その観光において中核をなす基礎産業は、旅館・ホテルにほかならない。基礎産業は、極めて主体的に発想し、行動するものである。いわば、産業の根底を支える礎であり、方向性を示す牽引役でなければならない。
したがって、観光産業を方向づける基礎産業に元気がなければ、「二十一世紀の花形産業」のフレーズも空々しく聞こえてくる。まして、個々の旅館・ホテルの経営が成り立たなければ、観光産業そのものが実態を失ってしまうし、その懸念は単なる杞憂ではない現実として突きつけられている。
筆者は、企業として「経営の黒字化」こそが急務であると痛感し、あえて現状の経営手法にメスを入れ、「旅館を黒字にするためには」の提言をしたい。
言い換えれば、旅館・ホテルの財務管理のあり方を、施設・料理・サービスの面で解析し、実態把握をベースにした経営手法、そして地域内での協業、旅行業者へ向けた施策などの観点からそれぞれを捉えてみたい。また、これらを総合することは、旅館・ホテルが黒字経営に向かう「自力再建」の方策でもある。
例えば、バブル期に大規模な投資を行った旅館・ホテルでは、低価格化の進行で再建計画を余儀なくされているケースがある。好景気の時代には、作文的な再建計画でも一部は通用した。「来年度こそは、売上目標を達成する。そのために施設のリニューアルが必要」といった再建計画もあった。だが、現在の再建計画はワンチャンスと考えるのが妥当だ。そうなると、かなり思い切った施策が必要となる。
黒字を達成する当面のカギの一つは人件費の操作だといえる。仮に年商五億円程度の旅館でも、人件費は一億五千万円ぐらい出ている。それが四、五千万円で収まれば、当然ながら黒字になる。そうした数字の面だけを捉えて、安易なリストラが横行してきた。
経営者ならば諸経費を下げ、売上を伸ばそうとする努力は誰もがしているはずだ。ところが、売上を伸ばすのは難しい。加えて中途半端なリストラでサービスが低下してくると、再び単価を下げざるを得なくなり、売上は一層低迷する。低下したサービスを補う苦肉の策を種々講じても、所詮は一時しのぎであって、「おもしろい、安かろう」で来た客には、すぐに飽きられてしまう。
逆のケースもある。価格が下がりサービスが低下していくなかで、「ちょっとだけサービスを」と考えた部分が、最終的に足を引っ張ることがある。旅行業界では「ちょっぴりプレゼント」といったサービス手法もあるが、個々の客にとってわずかであっても、提供する側には数量的に膨らんで大きな負担となる。同様のものが、旅行業者からの値下げと一方で品質現状維持の要求だ。
こうなるとスリ鉢の縁を堂々巡りする単なる悪循環ではなくなり、やがて底までころげ落ちて這い上がれなくなる。自滅のスパイラルだ。この構図は何としても回避しなければならない。
以上に例示したことがらは、大半の経営者から「それはわかっている」との答えが返ってくる。だが、営業を続けていく上でそうした現実は「如何ともしがたい」ともいう。
そこに悲劇的ともいえる状況を生み出した根源が潜んでいる。結論からいえば、旅館・ホテルは観光の基礎産業であるという認識が希薄だといわざるを得ない。観光産業は、決して流通業者が生み出したものではない。基礎産業である旅館・ホテルがあってこそ成り立つ産業なのである。筆者は、この視点から本シリーズを書き進めたいと考えている。
(続く=経営コンサルタント・松本正憲)
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(つづく) |
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