高山グリーンホテルの構造改革では、ある意味で私の持論が適切であったことを自身で再確認させてもらった。これはシステム設計やそれに基づく運営変更の成否といったものとは、少し違うニュアンスのものであり、〈ある意味で〉と断りをしたのは、そのためだ。では、いったい何をいいたいのか――。
「構造改革とはなんぞや」という素朴な質問に対して、総論的にいえば「経営者のアイデアが実行できる体制づくりを支援するもの」といった回答を、私は用意している。その回答が、まさに現在進行形で実証されつつある。
実際には、スチュワードの多機能化や厨房の統廃合をはじめ、構造改革にかかわる運営変更として、業務上の曖昧な部分をチェックし、それを是正する施策をさまざまな形で提案してきた。ただし、そうした施策を従来型の「提案」という言葉の範疇だけで捉えると「構造改革」の全容は、みえてこない。
従来型のコンサルでは、ヒアリングなどで経営者の理念や思いを把握し、それを理論的に整理したものを「提案」の形で示すことが多かった。したがって、その提案内容は、もともと経営者が思い描いていたことを理論武装(体系化)しただけに、経営者にとっては理解しやすい。あとは、現場がその内容を理解することで、おのずと経営者の思いが「実現する」と受けとめられてきた。だが、これは錯覚に等しい。経営者と現場レベルでは理解の仕方が違う、という根本的な視座が欠落しているのだ。
私は、現場の担当者がいみじくも述懐したワンフレーズを思い出す。「最初のころは理論について行けなかったので……」と彼はいった。まさに、頭の中で理解しようとする姿勢だった。それが錯覚であり、理論と実践の乖離なのだ。経営者の理念を理解したところで、実践して効果が伴わなければ何の意味もない。逆に、経営者自身も難しいと思う理想を掲げ、従業員もそれを承知で互いに受け流す「デキレース」がまかり通るのも錯覚の産物だ。
社長の新谷尚樹は、従来型コンサルを「疑心暗鬼」と会議の席上で指摘したことがある。「理論先行で実践がともなわない」といったニュアンスなのだろうが、これは一般的なコンサルにとって耳の痛い話だ。だが私には、むしろ好都合だった。理論どおりの実践を自ら示すことが可能だからだ。後に新谷は「いわれたとおりのことをできるじゃないか、と現場が受けとめた」と感想をもらした。
そう、構造改革は机上の理論やシミュレーションではない。経営者の思い描く旅館像を、実践と効果を前提に具体化させるシステムなのだ。ただし、実際に運用して効果をあげるには、現場の実態がカギの一つでもあり、作業者の力量が伴わなければ、画餅に帰す結果もあり得る。あるいは、それぞれの部署が永年にわたって積み上げてきた功罪両面の作業慣習(経営的に捉えると多分に罪が目立つ)やセクショナリズムも、新たな変革を拒む要因の一つになっている。
ここ高山グリーンホテルでも、作業者の力量や旧弊、セクショナリズムなどのハザードがなかったわけではない。だが、そうしたものは構造改革が浸透するに連れて払拭されてきた。つまり、経営者が目指す方向を具体的な設計図に落とし込み、同時に設計図に沿った「モノの動き」「ヒトの動き」「意識の動き」を現実の運営場面に照らしながら具体的に示すのが「構造改革」なのだ。
4〜9月中間決算では、7千万円の人件費削減を果たした。理由はいくつかあるが、とりわけ社員の自然減への対応が大きい。構造改革は、決してリストラ施策ではないが、業務に潜在する「ムリ・ムラ・ムダ」を排除すれば、それを隠れ蓑にしていた社員の居所がなくなり、自然減につながる。そして、減員分を補充するか否か、あるいはパート化で対応するかなどを明確にしている。これまでは、やりたいと思っていてもできなかったことを実現させる。そこに「経営者のアイデアが実行できる体制づくりを支援する」という意味がある。その一端が確実に実証された。
(企画設計・松本正憲=文中敬称略)
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