「社員教育」 その12
”自分探し”風潮に注意
Press release
  2000.11.04/観光経済新聞

 教育プログラムを考えるうえでのマニュアルについて述べてきたが、今回は視点を少し変えてみよう。実際の事業所でしばしば起きる問題として、次の事例がある。
 所定の研修期間を終えた研修生が、担当の上司にいった。
 「いろいろ教えていただきましたが、この仕事は私には向いていないようです。辞めさせていただきます」
 上司は、唖然として言葉がない。最近では、こうした言葉を平然と口にする人間が増えている。いわゆる“自分探し”の風潮を現実の場面に置き換えた形だ。あるいは、ちょっとした人間関係が理由の場合もあるが、いずれのケースも世代を超えた傾向となっている。
 だが、短期間で仕事の真髄などみえるわけもないし、まして自分に向いているか否かなど、判断できるはずがない。個人の立場ならば「我慢や努力が足りない」といって済ませることもできるが、企業の立場にたてばそれでは済まない。もちろん、そうした風潮を嘆くだけでは、何ら問題の解決にならないことも、多くの経営者が承知している。
 ひるがえって、研修期間を設けて研修を実施する企業には、当然ながらマニュアルも教育プログラムも周到に用意されているはずだ。では、それらのつくり方に問題があるのだろうか。この答えは軽々にはだせない難しさがある。ただ、マニュアルや教育プログラムには、教育を施すだけではない「もう一つの側面」を、企業側として明確に捉えておく必要がある。
 それが、マネジメントベースでの発想である。教育プログラムを実行することで、教育期間の短縮や作業の標準化などの諸効果が図られることは、これまでも述べてきた。同時に、教育にかかわるコストも軽減される。だが、前述のようなケースが発生すれば、教育期間に支払った人件費は、いわゆる “死に人件費”と化してしまう。
 冒頭の事例は、従業員の入退社が多い旅館・ホテルでしばしば起きている。企業規模の大小によって表面に表れる金額は異なるが、社員・パートを含む二百人規模で推定すると、何ら貢献せずに支払われる人件費は、年間で数千万円の支出になっているはずだ。
 したがって、教育期間といっても、支払った人件費に対するワークを用意することが欠かせい。それが、教育プログラムの中に盛り込まれる必要がある。
(つづく)